稼げ!そこに「幸せ」に繋がる道がある~受験の前に知っておきたいことPART1~
はじめに
幸福とは、快楽を増やすことである。功利主義の考え方は、市民社会の基本です。
「稼ぐこと・快楽を追及することは善いことである」という資本主義は、個人・国家の発展のエネルギーであるという考え方です。
言い換えると、裕福になることが幸福であり、その幸福の最大化が目指すべきところであって、裕福さ・豊かさの基準は、モノ・カネであるという考えです。これが、市民社会の発展の原理、つまり政治・経済を動かす動機です。結果として財・産が溜まることが目的になります。
大学入試では、市民革命の基本原理を理解していることが要求されます。
思想・哲学・宗教の観点から三回に分けて考えてみたいと思います。
今回は、PART1として、資本主義を動かす思想について考えます。
世界は、全く異なる価値観で対立している
いま世界の国々が「異なる思想」・「異なる宗教」・「利害」で対立していますね。
大雑把に言って、一つ目は、アメリカ・EUを中心とした、「西洋合理主義」の諸国です。日本もこの中に含まれます。二つ目、中国・ロシアは「社会主義の思想」を原則として動いている諸国です。北朝鮮もこの中に入ります。三つ目は、イラン・サウジアラビア・イラクなど「イスラム教」を奉じる諸国です。四つ目は、インド・ブラジル・アフリカ・中南米といった、支配から脱しながら、いまだ「国家の方向性を決めかねている」新興諸国です。
自由・平等・人権は「思想」である
では、君や私が生活している「市民社会」の基本的な考え方から入りましょう。
私たちは普段「権利」とか「義務」とか「人権」とか「契約」という言葉を当たり前のように使っていますね。ところが、これには歴史的背景があるのです。
人間は生まれながら「自由」であり「平等」で「財産の私有」(が当然できる)というのは、ひとつの考え方であり、思想なのです。私たちが「当り前」と思うほど浸透しているだけです。
では、誰に対して自由であり、誰と平等だと主張しているのでしょうか。
それは「特権」を持つ人たちに突き付けた「新しい価値観」なのです。
特権とは、王・貴族・高級僧侶が持っている<税金を納めない>とか、<逮捕されない>という特別な権利のことですが、これに対して「特権を持たない」人々、つまり農民や商工業者が突きつけた思想と行動なのです。
オレオレ詐欺は、市民社会の病巣である
最近「オレオレ詐欺」が問題になりますが、Webの世界は「統率のない放任状態」ですから、<騙す人より、騙される人が悪い>という混迷がまかり通っていますね。
ホッブズ(英)という思想家は、自然状態では「人間は人間に対して狼」のような存在であり、「すべての人がすべての人と戦っている」といいましたが、まさに現代のWeb社会も同じです。「ルールが定まらない放任状態」が現状ですから、これに対応できない人は大変です。これまでの多くの日本人は、契約という概念になれていませんから、簡単に騙されてしまいます。
ましてや「和」を貴び、義理・人情を大切にする生き方をしてきた真面目な「高齢者」がターゲットにされるのも悲しい現実ですね。契約社会の「サイン=署名」に慣れるしか対応策はないのですが、[賢くなる]には時間が必要でしょうね。
市民社会は、「契約社会」です。契約は[独立した個人のサイン]で成立しますから、国際条約・条例・卒業に伴う手続き・婚姻・入社手続きも同じですね。
市民革命を引き出した思想家たち
ジョン・ロック(英)やルソー(仏)という人たちは、こうした新しい思想をもって、新しい時代・新しい社会を導き出したのです。これを行動に移したのが、1789年のフランス革命・アメリカ独立革命などと呼ばれる「市民革命」ですね。
新しい思想家たちは、それまでの「王の権力は神様から与えられたものだ=王権神授説」という思想を否定して「社会は契約によって成立=社会契約説」を突きつけて新しい時代を導き出したのです。
では、次の問いに答えてください。
- アメリカの独立宣言に大きな影響を与えたイギリスの思想家は誰ですか。
- 「人間不平等起源論」を書いた人は誰ですか。
大学入試では、こうして出来上がった「市民社会が抱えている課題」をテーマにして出題することが多いのです。「社会契約」の考え方は、市民社会の基本的な考え方であり、課題文や設問のベースになっていることを知っていてください。
功利主義が市民社会を動かす原理
市民革命の中心となった商工業者たちは、「自由な経済活動」を行うことによって富を獲得し、社会を発展させていきました。この市民たちを支援する思想が「功利主義」です。功利とは、結果として「多くの人の実生活」に役立つことが善であるという考えです。これは「私利」のみを追及することとは異なりますが、混同して使われることが多いですね。
人間は、「快楽」と「苦痛」に挟まれた奴隷である。快楽を増やし、苦痛を減らすことが「幸福」である考え方です。「最大多数の最大幸福」とは「できるだけ多くの人に大きな快楽を」という考えです。
しかし、現実は、国家・地域・個人も自らの財産を「量的」に増やすことに必死ですね。
富裕層の生活が憧れの的ですからね。
貧富の差・格差社会
だから、個人の間でも、国家の間でも「貧富の差」が生まれ、「格差社会」になるのですが、功利主義者のベンサムは「快楽は計算することができる」と考えて七つの快楽の計算基準を示しています。<快楽がどれくらい強いか>・<続くか>・<確実なのか>・・・などですが、この考え方は、資本主義の社会で、いろいろな面で基準になっています。「豊かさの基準」ですが、これを受験について置き換えてみましょう。
君が、<どんなに強く志望校への合格を願っているか>・<その思いが続いているか>・<想いは確実なのか>・・・。なるほど、説得力がありますね。
功利主義は現実的ですから、分かり易いのです。
しかし、現在の試験制度は功利主義的で「じっくり考える能力」より、「素早く正答を出せる能力」の方が評価されますね。どんなに立派な考えを持つ人・動機を大切にする人でも、点数が量的に取れなければ合格できません。ここが問題なのです。
企業では「成果主義」という言葉を使います
「豊かさ」とは、モノやカネを「量的」に増やすことと同義ですから、これに準ずる行動をするのが善いことになります。この割り切った考え方は、人間の欲望を単純に刺激し、人間の生き方と社会の在り方を変えていきました。
経済的に豊かになった資本家が中心になった社会は、支持する議員が多い方が善であるという考えを生み出し、量的な決裁による「多数決」が優位になる議会制を生み出しました。多数決は「人間一人を1」という数字に置き換えて成立しますね。
この(モノやカネを量的に増やそうとする)行動は、国内だけでなく、海外へ進出する動機にもなりました。それが「帝国主義」であり、原料や市場の確保を求めた「植民地の獲得競争」になりました。
富が、特定の国、特定の人に集まり、少数の富裕層と多くの貧困者を生み出したのです。その中心となった国がイギリス・フランスです。その後発国がドイツやイタリア日本でした。折からの産業革命の進展と、両輪の輪になって、世界の国々を制覇していく戦いを開始しました。これが第二次世界大戦です。
「文明の衝突」を避けることはできないか
サミュエル・ハンチントンというアメリカの学者が、アメリカと旧ソ連の間に起こった「冷戦」が終わった時、これからは「異なる文明が接する地域」に紛争が起こると言いました。圧倒的な力を持つアメリカに対して、「地域戦争の危険性」を指摘したのです。が、いまや地域紛争どころか、「異なる文明の間」で、いつ世界戦争が勃発してもおかしくない状況になりました。
思想・体制・宗教・利害も異なる国が、最終兵器「核」をもって競い合っています。「協調」ではなく「競い合い」です。おまけに各々が「自国第一主義」を掲げているのですから、大変危険です。「美しい自然」と「豊かな文化」があるというのに、なんという様相でしょうか。
矛盾を克服する新しい流れ
当然、「功利主義だけではまずいじゃないか」という声が出てきました。
ロバート・オーエンという経営者がイギリス国会で証言した記録が残っていますが、長時間労働・低賃金・厚生施設の不備・幼児の労働などの実態が証言されています。そこで「人道的な立場」から、労働者を救済しようという流れが大きく展開するようになります。これが、社会主義運動や労働運動です。
一方、経営者側からも「量」よりも「質」を問題にするべきだという「功利主義の修正」が始まります。これらについては、<PART2>で整理することにします。
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