「春望」「春暁」「学而」「偶成」~漢詩四篇~
はじめに
「緊急事態宣言」が東京・首都圏などに出されました。
人々が「不安」「恐怖」「虚無」の闇の中に閉じ込められてしまいました。
街角から人影が消えて、笑い声も、騒めきも消えてしまいました。
新学期の開始が大幅に遅れ、君たちの行動も制限されて、窒息しそうですね。
それでも「春」は来ました。
例年通り、桜の花は咲き、木々の「新緑」は逞しく伸びています。
冬の寒さの中で、生命を繋ぎ、耐えて強くなった樹木に花が咲くように君は「夢と希望と愛のエネルギー」の持ち主であり続けてください。
歴史を振り返ると、人類は幾多の困難を乗り越えて時代を紡いできたのです。
それでは、杜甫の『春望』から入りましょう。「漢詩四篇」です。
1. 「春望」 杜甫
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
中学校の教科書にありますから、すでに、学習した人がいるでしょう。
声を出して読んでください。感じがつかめるまで「音読」です。
いま、世界中の国家・社会が大混乱ですね。
東京など「大都市の街角」から人影が消えて、人類撲滅後の未来世界を想像されて「怖い」です。
同じ状態を約1300年前に、唐の詩人の杜甫が「国破山河在」と詠ったのが『春望』です。
城郭都市「長安」の景色です。
しかし、富士山は白い雪を被って、今年も悠然と構えているし、山・河の新芽は、勢い良く伸びて、次第に緑の葉色を強めています。
「城春草木深」です。
多分、ヒマラヤ・アンデスの美しさも変わらなく静かでしょう。
人間と自然の「対句」です。作詩的には「五言律詩」です。
この自然の営み・風景は変わらないのに、政治の責任者である玄宗皇帝は、楊貴妃にうつつを抜かし、「統治の統率力」を失い、人心は乱れ、混とんとしてしまいました。
嘆かわしくて、鳥の鳴き声を聞いただけでもオドオドし、涙が込み上げてくる。
これは、現在の世界の混乱と似ています。
この不安定に心を癒してくれる人は誰でしょうか。
時空を超えて『春望』は共感を呼ぶのです。
当時の国際都市「長安」は、「安史の乱」(755~763年)のために大混乱に陥ってしまいます。
下級官吏の杜甫にはどうしようもない。
長く果てしない混乱を、「烽火連三月」と嘆くしかできない。
コロナで混乱した東京・パリ・ロンドン・ニューヨークとイメージが重なります。
家族からの手紙は宝物です。
哀しくて、髪の毛を整えても、簪が滑り落ちてしまうほどにやつれたと嘆きますが、現在の世界中の人々も「同じ嘆きと恐怖」の前で立ち尽くしています。
受験アドバイス
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」は、芭蕉の俳句です。これは「奥の細道」のなかにありますが、この句の前に「春望」の一部が記されています。こういうことを「本歌取り」と言います。つまり、和歌の技法で、有名な古歌の一部を取り入れて、歌にふくらみを持たせる技法です。こうした技法は、日本の伝統文化ですが、最近は学習の機会が激減しています。お茶ゼミ√+の先生の指導を受けてください。
「覇権主義者たちの夢の跡」と詠む詩人に逢いたくありません。
2. 「春暁」 孟浩然
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
これも中学校の教科書に載っていますから、すでに学習した人がいるでしょう。
「春眠暁をおぼえず・・・」なんていって、朝寝坊をするのも楽しいですね。
いつの時代でも、「トロトロする快さ」は変わらないです。
しかし、受験を控えた君は、もう少しの期間だけ「我慢」しましょう。
のんびり遊んでしまうと、取り返しがつかないです。
特に、コロナで長期間「授業を受けていない時期」が怖いです。
学習は日々の積み重ねが基本ですから。
一端、「学習のリズム」を狂わせてしまうと、取り返すのに2~3倍の時間とエネルギーがかかります。
自動制御・自己コントロールが効かなくなるからです。
学校もお茶ゼミ√+も「休校」の期間の過ごし方に工夫が必要です。
決まった時間に起床し、食事をして、勉強し、運動をする。
その「規則正しい生活」が基本なのです。
しかし、どんな時でも、鳥の声に耳を傾けたり、花を観賞したりする「ゆとり」も忘れないようにしましょう。
焦りは禁物です。
それにしても、コロナの影響は深刻です。
「受験は待ってくれない」からです。
君には「今日やるべきことは、今日やって欲しい」と願っています。
受験アドバイス
漢字は「表意文字」ですから、一つ一つ文字が意味を持っています。「記号」ではありません。中国の戦国時代までに、様々な文字が生まれました。「大篆」です。秦の始皇帝が国家統一のために、宰相李斯に命令して「小篆」を造らせました。文字を整理したのです。しかし、日常実務には使いにくいので、やがて「隷書」が生まれました。
諸橋徹次氏が中心になって編集した『大漢和辞典』に、収録した親文字だけで5万余字・熟語53万あります。ものすごい数ですね。この機会に、甲骨文字・金印文字から行書・草書も併せて「文字の歴史」を調べるといいですね。
学問の入り口です。
3. 「学而」 論語
学而時習之
不亦説乎
有朋自遠方来
不亦楽乎
人不知而不慍
不亦君子乎
『論語』を通して、孔子が伝えたかったことを大きく捉えましょう。
孔子は、「為政者・社会的な指導者の心得」を述べています
孔子は諸国の為政者を廻って「論語にまとめられたようなこと」を話していたのですから、この点に留意しないと理解が深まらないので注意しましょう。
一般庶民に向けての教育内容ではないのです。
当時の「庶」は、「貴」に従属する「民」です。
現代の「人権思想」とは程遠いのです。
漢文には、過去・現在・未来など、時間がありません。
また「返り点」のつけ方により、いろいろな読み方ができます。
比較すると発見がありますよ。
君は「パレートの法則」を知っていますか?
イタリアの経済学者パレートが「80対20の法則」を経済分野で提唱しているのです。
「ばらつきの法則」として親しんでいる人もいます。
どのような集団でも、この比率に分けられるというのですね。
この「20%に属する人の心得」と「貴」が通じるものがあると思います。
進学してからでいいですから勉強することを勧めます。
「学而」は論語のスタートに記述されているものですから、為政者が心得るべきことをはっきりと述べています。
指導者足らんとする者は「しっかり勉強をすること」。マスターできるまで繰り返すこと。「しっかり考える人間である」こと。これらを「楽しむレベルまで昇華する」ことなどです。
そして「同じ志」を持つ朋友が、遠方からも集まってきて切磋琢磨すること。
こんなに楽しいことはないと言い切っているのです。
お茶ゼミ√+には、地域・学校・性別を超えて豊かな才能の持ち主が集まっていますね。
すなわち最先端の「ペグ」です。
論語にある「有朋自遠方来 不亦楽乎」です。
またホームページにある「卒業生の声」をみれば、本当に多士済々ですね。
意志ある若者が、実力ある指導者のもとで学ぶ。
まさに「学び舎」です。
そして、他者の短絡的な評価を気にしない。
誰が、何といおうが、学ぶことに徹する。
楽しいものは楽しい。
それ以外は気にしない。
「人不知而不慍」です。
受験アドバイス
「プログラミング言語」は、人間がコンピュータに命令を指示するために造られた言語ですね。コンピュータが「曖昧さをなくして、解析できるように作られています」から、私たちが日常使っている「自然言語」と違いますね。ロジカルな言語です。 初心者向けから、専門家に至るまで多様な言語があるので、一概には言えませんが、今後、君がマスターしなければならない言語です。初心者は、Python・HTML・CSS・PHPなど、興味・関心がある方向を選択して学習すると良いです。Javaをマスターしたら就職に有利とか、いろいろなことが言われていますから、受験勉強の傍らで、プログラミング言語にも関心を持つと良いと思います。
4. 「偶成」 朱熹
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
「偶成」とは、偶然にできた詩というような意味ですが、朱熹(朱子)は哲学者ですから、いろいろなイメージを持っていたと解釈していいでしょう。
これは朱熹の作品ではないという説もありますから、「愚成」がいいでしょう。
15歳の頃の私は「夢と野心」に燃えていました。
前途に何ら不安を感じることもなく、何でもできると信じていました。
あれから何十年か経過しました。
私に待っていたものは、コロナのような社会的な事件や、個人的な難問でした。
これらと必死で闘い、乗り越えるのが私の人生でした。
夢を語り合った仲間たちは、大学教授・ジャーナリスト・社長・書家・画家・地域の人になりました。
まさに軽んじなくても「光陰」は瞬時に通りさって行きました。
そしていま、この文章を誰が「何歳の時に書いたものか」と思案しています。
「少年易老学難成」なんて、若い時は書きませんからね。
生命力あふれる君は「一寸光陰不可軽」と絶対に詠いませんね。
これは老成した人の諫めの言葉です。
現在の君は、思い切り「夢や野心を燃やす時」です。
遠慮はいりません。
「やるだけやる」のです。
一寸の光陰も「輝けるヒカリの中」にあるのです。
「池のほとりでボンヤリしていたら、すぐに歳を取って、秋風に散る落ち葉になってしまうぞ」と、後輩に注意を促しているのですが、私は「未覺池塘春草夢 階前梧葉已秋声聲」という警告は不要だと思います。
人生100年時代です。
君には、説教する前に、凛として生きる人になって欲しいです。
さて、いま私は君に「手紙」を書いています。
「やる気」と「好奇心」さえあれば、人生は素晴らしいといいたいからです。
伝言は「元気溌剌としている時」でしか書いてはいけないのです。
意気揚々としていなければ「文章に生命が宿りません」。
私はやりたいことが沢山あります。
やらなくてはならないことも沢山あります。
だから君宛に「このコロナと受験に負けないで、『難局』を逞しく乗り切ろう」と書いているのです。
受験アドバイス
先日、親しい人から「内陸アジア・中央アジアの歴史・文化の研究が滞っている」という悩み相談を受けました。阪大で勉強してきた人ですが、「このままでは日本から優秀な研究者がいなくなってしまう」というのです。京大・筑波大・早稲田大などで頑張っている人がいるようですが、西域地方を専攻する人が激減しているようです。地味なアカデミックな研究者を大切にしたいです。
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