宮本武蔵と同時代のヨーロッパ人
はじめに
剣豪「宮本武蔵」を知らない人はいませんね。
村の乱暴者が、目覚めて剣豪に成長していく姿に多くの人が共感し、感動する物語は、吉川英治さんの作品で有名です。
吉川さんは、苦難に満ちた人生を武蔵と自分を重ね合わせて描いているので「史実」と異なるようです。
宮本武蔵の絵は鋭い
武蔵の絵にはスキがない。
絵画そのものが、剣のようです。二刀流の開祖は、生きるか死ぬかの世界で渡り合ってきたので、自然と鋭さを増したのでしょう。
君は「水墨画」を描いたことがありますか。
絵筆に墨を含ませて、神経を集中させて一気に描く。
筆先が震えたら、そこで絵が途切れて死んでしまう。
武蔵の絵を「集中力」で見ると、筆先のシャープさ、無駄のなさ、緻密さ、墨の濃淡、空間デザインの無駄の排除などが「剣の道」に通じるものを感じ取ることができます。
受験アドバイス
宮本武蔵と同世代ですが、能登半島・七尾から絵筆一本で「勝負を挑んでいった絵師」が、「長谷川等伯」です。妥協を許さない革命児は、この時代の画壇を制覇していた「狩野永徳」と激しく争います。才能豊かな人たちの「鋭い鍔迫り合い」は激しいです。東京国立博物館で「松林図」を見ると、これほどの作品を後世に残してくれたことに感謝です。日本の水墨画は、ジャンルを超えて、世界のレベルから見ても高いです。
1600年前後の日本と世界の動き
1600年は「関ヶ原の戦い」、その前は織豊政権が1568年から始まっています。
まさに動乱期です。長谷川等伯は1539年・宮本武蔵は1584年に生まれていますから、この混乱期を生き抜いたのです。
まさに現在のコロナ禍の前・後と似た環境ですね。才能を磨く時です。
この時期は、世界の歴史でも「新・旧交代期」にあります。つまり、イギリスでは「エリザベス1世」が1558年に即位して、三流国のイングランドを一流国にのし上げていきます。
スペインの全盛期に陰りが見えて、新興国オランダが勢力を伸ばしてきます。
コロナ禍の下でアメリカに対抗する中国の勢力拡大と似ています。
米・中の争いが「次の世界」をつくるのかどうか。10年後はどうだろうか。
「時代の変化」を、最先端の画家たちは、どのように見ていたのでしょうか。
ベラスケス(1599生)・ルーベンス(1577生)・レンブラント(1606生)の絵画を通して考えてみましょう。
受験アドバイス
同じ時代の東・西の才能を比較するのは興味深いですね。「エリザベス1世」と「織田信長」の共通項は、「前の時代」のしがらみにとらわれることなく、大胆に決断し、時代の「新しい血」を導入したところにあります。
二人とも「小さな島国」のリーダーにすぎませんが、「世界を視野に入れていた」という点で共通しています。その他、交易の利益に着目し、財政力をつけた・宗教的な旧勢力を排除した・新しい文化を育成した・敵対勢力を徹底的に排除した・気に入った人材を登用したなど、共通していることが多いです。
君が活躍する世界はグローバルです。広域に捉えるIT・バイオのような「グローバルな眼」と同時に「個性」「地域の特性」「時代性」を考える才覚を磨くといいです。
宮廷を内部から観察し絵画にしたベラスケス
パプスブルグ家は、戦争ではなく「婚姻関係」を結んで領土を拡大しました。
写真がない時代ですから、画家が描く肖像画は、「お見合い写真」の役割を持っていました。
宮廷画家になったベラスケスは、王家の内部まで入り込んで絵画を描きました。
『ラス・メニーナス』(女官たち)という絵画は、いろいろな角度から観ることができる名画として評価が高いです。
あまり賢くなさそうな「マルガリータ王女」を、上手にアピールすることが仕事ですから、この目的は十分に役割をはたした“作品”だといえます。
「画家が職業として独立した存在」ではなく、王家・貴族・大名などにパラサイトし、「お抱え絵師」にすぎなかった時代にあって、絵画を描く技術ひとつで豊かな支援者を確保し、ライバルを跳ね除けて地位を得ていくには、「画才以上の才能」が必要でした。
これは、スペインでも日本でも同じでしたね。
支援者は、いまでいうスポンサーです。
今後、物事を「複眼」で見る力は、ますます重要になっていくでしょう。
受験アドバイス
西洋絵画の主流は「油彩画」です。これは油で煉り合せた絵具を使用するもので、15世紀にファン・アイク兄弟が「高度の芸術性」を生み出して以来の技法です。4世紀ころからの技法を、フランドルの画家たちが体系化させたと解釈するのが良いですね。ルーベンスもこの技法を完成させた一人です。
ミケランジェロは<システィーナ礼拝堂の壁画>を「フラスコ」で描きました。こちらは漆喰(しっくい)を下地に塗り、それが乾かないうちに水に溶かした水性絵の具で描いてしみこませる技法です。「水墨画」とは全く異なる画法ですが,顔料・技法・表現方法・画家の個性など奥が深いです。
ルーベンスは外交官・人文主義者・画家
現在のベルギーがあるフランドル地方は、スペインの領土であり独立した国家ではありませんでした。
ルーベンスは、アントワープで活躍した画家ですが、同時に、古典的な知識を持つ人文学者であり、七か国語を話す外交官でした。
スペインを訪問した時に、ベラスケスにあって「刺激を交換した」こともあったようです。
肖像画にキャリアがにじみ出ています。気品がありますね。
ルーベンスは、ベラスケスのような寡作な画家ではなく、大規模な「工房」の経営者でした。
工房で生み出された大量な作品は、ヨーロッパ中の貴族階級や収集家に売られました。現代のプロダクションのようなものです。
君は「フランダースの犬」という物語を知っていると思いますが、ネロと愛犬パトラッシュが、アントワープの教会でルーベンスの『聖母被昇天』を観ながら息を引き取るシーンがありますね。
ちなみに、芸術作品は、すべて「個人の制作品」であるとは限らないのです。
むしろ「工房」でたくさんの職人が、協働して作品を生み出したものが多いです。
日本の仏師の「快慶」も工房をもって制作していました。工房には美術学校のような役割もあったのです。古代ギリシャのフィディアスも同じです。
受験アドバイス
エリザベス1世が率いるイギリスは、スペインの貿易船を襲う「海賊」を行い、経済力を高めていきました。海賊のドレーク船長をイギリス海軍の中将軍に任命したり、叙勲したりしました。また獲得した資金を基礎にして「東インド会社」を設立しました。1588年にはスペインの無敵艦隊を破り、イギリスの黄金時代をつくりました。エリザベス1世は、国内の混乱した宗教・政治を強引にまとめました。また、シェークスピアが活躍するなど文化も発展し、「イギリスファースト」の華やかな時代を築きました。現在の「自国中心主義」のモデルです。
新興市民階級がレンブラントの支援者
ネーデルラントの北部には、新教(プロテスタント)の新興市民階級が多く、旧教(カトリック)のスペインに反抗し、独立してオランダを建国しました。南部にすむカトリック教徒たちは、スペインに残留しましたが、紆余曲折を経て、ベルギーという国家を建国します。
ルーベンスはベルギーの外交官として活躍しましたが、レンブラントはオランダの「新興市民階級の支援」を受けて画家としての立場を確立し、栄誉を獲得していきます。
『夜警』という絵は、市民たちが「自衛のために夜の警護をする集会」を描いたもので、スポンサーは市民階級の人々です。
画材を見ただけでも、ルーベンスならば、絶対にとり上げない市民をレンブラントは好んで描いていますね。
受験アドバイス
新興市民階級は、日本では「堺の会合衆」の勢力と似ています。特定の貴族・大名に属さす、自由都市の住民が、自力で豊かな財力を持ち、政治・経済・文化の担い手になっていったのです。堺を「東洋のベニス」だと、イエズス会の宣教師が本部に報告している記録(1561年)が残っています。
日本の「千利休」の茶文化は、レンブラントの絵画に通じる文化の流れです。
オランダでは、この勢力が資本主義へと発展させていきましたが、日本では信長・秀吉という「時の権力」に押しつぶされて、歴史の中に消えて行きました。
ヤン・ファン・エイクと大学入試問題
では、大学入試では、どのように出題されているのでしょうか。
東大の2005年「世界史の出題例」を見ることにしましょう。
(以下抜粋)
画家ヤン・ファン・エイクが1434年に製作した油彩画で、これはネーデルラントの都市ブリュージュ(ブルッヘ)に派遣されたメディチ家の代理人とその妻の結婚の誓いが描かれている。
この時代のネーデルラントは、イタリア諸都市と並んで、この絵の中に描かれているあるモノの生産で栄えたが、やがてその生産の中心はイギリスへ移っていった。この製品の名称を答えなさい。
答え 毛織物
受験アドバイス
オランダは、国際貿易よる経済発展を背景として、「市民層に向けた絵画」が発達しました。中でも、フェルメールは、日常の生活に携わる人物を、静物画のタッチで描き、新しい世界を切り開来ました。彼の作品は、日本でも人気がありますね。2019年に開催された展覧会でも、小さな作品の前にたくさんの人が集まっていました。
東京上野にあるいろいろな美術館は、国際的に観ても、魅力的な「企画展」をたくさん開催しています。君も、できるだけ時間を作って観るといいですよ。君が活躍する「これからの世界」では、必須の教養です。まず、「楽しまなくちゃいけません」ね。
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