広大なロシアの大地を行く
はじめに
ロシアの大地は広い。
どこまで行っても地平線がみえない。
特にシベリアは広大だ。家も、人も見えない。森林ばかりが続く。
この広大な領土を持つ大国が、我が国に北方領土を返そうとしない。
むかしから、ロシアの弱点は、凍らない港がないことだった。
だから、耐えず南下政策をとってきた。
清朝がのんびりしていたら、強引にウラジオストックまで降りてきた。
出口を求めて、バルト三国とフィンランドは絶えず狙われて、犠牲を強いられた。その流れは、いまも変わらない。
受験アドバイス
国境という概念のない清朝に対して、ロシアは遠慮なく南下しました。
そこで帝政ロシアと清朝の間に初めて国際条約が結ばれました。1689年のネルチンクス条約です。この時は不凍港の建設は認められませんでしたが、やがて清朝の衰えに乗じて、北京条約を経由して、ロシアは港町ウラジオストックを建設するなど、ロシア艦隊が停泊可能な港を整備していきました。日露戦争で、ロシアのバルチック艦隊が対馬沖を横切って向かった先はウラジオストックでした。
バイカル湖のほとりに立つ
バイカル湖の自然は透明で美しい。
この湖のほとりの開発に、日本兵が寄与した記録があります。
戦争に敗れた日本兵たちは捕虜になり、強制労働をさせられました。
私の義父もスルジャンカで、雲母の採掘者として働かされました。
親戚の人・知人たちも技術者・軍医として厳寒の地に連行され、そこで倒れ、病みながら、ようやく帰国しました。
シベリア開発の拠点の一つが、イルクーツクです。
“シベリア送り”と言われるように、ここは流刑地でした。政治犯は、シベリアの各地に閉じ込められて"生涯を閉じました。政治犯はいつでも、どこでも凶悪犯より重刑です。今では、国家政策で各地の開発が進み、中堅都市が発展していますが、何もない寒村でした。
受験アドバイス
シベリアはロシア帝国時代から流刑地でした。旧ソ連邦もこれを踏襲し、数多くのグラグ(強制収容所)を作って沢山の政治犯を送り込み、鉱山労働や森林伐採などをさせました。第二次世界大戦では多数の工場がシベリアへと疎開し、人口は急速に拡大しました。またドイツ軍など枢軸国軍の捕虜が、シベリアの捕虜収容所に送られました。ソビエトが参戦後に、赤軍に捕らえられた日本兵も抑留されたのです。
戦後、シベリアの大都市は軍需産業を中心にして大きくなっていきました。
貧しく暗い閉ざされた世界
点在する村々の家は木造で、人々は、寒い長い冬を越すために、「小瓶」にいっぱい貯蔵できる食物を保存して生活しています。
工業化が進んだといっても同じです。資本主義社会の生活者とは、全く異なる「風土」であることに留意しましょう。
しかし、人々は明るく、親しみ深く、親切です。
ロシアは、特権階級の専制的な支配が長い間続いていました。
皇帝(ツアー)の「専制政治」と過酷な「農奴制度」です。
知識階級のナロードニキが「民衆の中へ」というスローガンで解放運動を指導しました。
が失敗し、テロリストになりました。ボルショビキ(共産党)によるロシア革命(1917年)で社会主義国家が誕生しましたが、政治の実態は変わらなかったようです。
現在でも、西欧的な民主主義とは無関係の国家です。
受験アドバイス
君は「ヴォルガの舟歌」「赤いサラファン」「ステンカラージン」「黒い瞳」などロシア民謡を知っていますか。短調で暗い歌が多いですね。専制政治が長く、農奴解放があったと言っても不完全でした。労働者中心の「ロシア革命で見た夢」は幻に過ぎなかったのですから、極端な経済格差がついたのは、当然です。
旧ソ連邦が崩壊した後、私は混乱したロシアに行きましたが、多くの民衆は飢えていました。が、豪華な食事を楽しんでいる人々もいました。とても「同じ国の人たち」とは思えない「生活格差」でした。そのまま現在まで来ているようですね。
シャガ―ルの華やかな色彩感覚の裏にあるもの
君は、幻想的なシャガールの絵画に魅せられたことがあるでしょうね。
どうして、こんな幻想的な発想と華麗な色遣いができたのか。
私も不思議に思ってロシアに行きました。彼は、ウクライナの田舎、それもユダヤ人が住む地域に生まれました。だから、暗くて、閉鎖的なムラから飛び出したかったのでしょう。
画家の「あがき」と「外への憧れ」が夢想的な表現につながったのでしょうね。
イロのない世界からの飛躍です。
この絵画の裏に、閉ざされたロシアの「貧しいムラ社会」があった。
画家の屈折した複雑な気持ちを知ることも大切ですね。
受験アドバイス
「自由」がないところに高い芸術は生まれません。社会主義の基礎になったマルクス主義は、生産と生産活動を「下部構造」と捉え、政治や文化活動は、その上に成立する「上部構造」だと考えます。
経済に、思想も学問も芸術も影響するのは当然ですが、どう考えてもシャガールの絵画は「人民に奉仕する芸術」という枠から離れています。
芸術をイデオロギーで支配できるものか。すべてを「奉仕の思想」で包み込みことが、人間の本性から考えて共感できるかどうか。最近は「自由からの逃走」でなく、自由を守るための「闘争の時代」になった感じがします。君の時代は、どうなるのでしょうね。
エルミタージュ美術館にネズミが走っていた
ネヴァ川のほとりにエルミタージュ美術館があります。もともとロマノフ王朝の王宮の一角ですから、それは・・・それは豪華絢爛たるものです。展示されている絵画を見るより、宮殿・内装が美術品です。
この豪華さが他の美術館とは異なるところです。ドイツの貧乏貴族の娘だったエカチェリーナ2世・女帝の専用のコレクションを置くところでしたから、当然です。王宮だから、手狭になったら増築を重ねたので、見事なのです。
私的なコレクションですから、一般公開されていませんでした。
「鑑賞する人もいないのでネズミが走っていた」ということも伝わっています。
市民に公開されたのは1863年からです。
皇帝(ツアー)の権力の大きさがしのばれます。
受験アドバイス
旧ソ連が崩壊し経済が破綻したということで、日本政府は「巨額な支援資金」をロシア政府に提供しました。私は、そのころにロシアを訪問し、当時のレニングラードで「エルミタージュ美術館」を訪れました。入館してビックリしたのは、その豪華さでした。
「なんだ!!貧しい私たちの血税をプレゼントするより、この中のひとつでも売ったら経済の立て直しが簡単にできるのに・・・」これが、私の第一印象でした。
そんなことを記事にしたマスコミはありませんでした。だから、日本の国民もロシアの人も知りません。その旅の中で、ロシアの人に「日本の支援について」質問してみましたが、「誰も知らない」という事実を知りました。海外支援とは何でしょうね。
水の都サンクト・ペテルブルク
1703年。ピョートル1世(大帝)がネヴァ河のデルタ地帯に新しい貿易の拠点都市を建設しました。
河口の沼地ですから「ここに来る人は、必ず石を持ってくること」という命令が出されていたといいます。
白海・ドニエプル川・ヴォルガ川に繋がり、ウラルからカスピ海までの交易の要地として最適だったからです。
やがて、ここに「冬の宮殿」が建てられ、施設の一環として美術倉庫(個人的な離宮)「エルミタージュ」が建設され、それが増築を重ねられてきたのです。
だから、ロマノフ王朝の財産が集められていたのです。都市の名前は、ペテログラード・レニングラードなどと変更しました。街中は運河網で「水の都」です。
受験アドバイス
大黒屋光大夫は、遭難・漂流してロシアにわたり、エカテリーナ2世の許可を得て、約9年半かけて日本に戻りました。
回船の船乗りだった彼は、ロシア語を習得しペテルブルグに行き、1792年に帰国したのです。ヨーロッパ事情を江戸幕府に伝えました。彼に同行したラックスマンは、北海道・根室に来て鎖国を解除し、通商を求めましたが、実現しませんでした。
「世界の中の日本」を考える時、ペリーの黒船来航(1853年)と同時に、こうした海外からの働きかけを整理しておいてください。井上靖『おろしあ国酔夢譚』や吉村昭『大黒屋光太夫』を通して、当時のロシアの事情を知るのも良いでしょう。
宗教はアヘンである
「宗教はアヘンである」といったのはカール・マルクスです。
マルクス主義を現実の政治に落とし込んだのがレーニン。
それを徹底したのがスターリンです。
だから、社会主義国であるロシアの正教会は、旧ソ連邦の政治体制の中で、否定され、弾圧されました。
・・・そして、歳月が経過しました。
「・・・なに?これ!!!」
華麗な外見と異なり、教会の中は、スス・汚れで、真っ黒け、なのです。
教会の内部で煮炊きもしたのです。荒れ果てた内部は、干し草の置き場であったり、馬小屋に使ったりしていたのです。みじめで無惨な状態でした。
私は、唖然として、信じられないまま、立ち尽くしました。
どの教会へ行っても同じでした。そして、ロシアの新体制になってロシア正教会はようやく公認・復活しました。民衆の生活の中に隠されていたイコン・神器が出てきました。信仰が生きていたのです。
しかし、聖像の「修復技術」が継承されていなかったので、ペンキを塗りたくるような酷いものもありました。「矛盾」を通り越して、社会主義体制の中で、宗教活動が認められました。マルクスは、幾重にも形を変えて復活するから「宗教はアヘン」であるといったのかもしれません。
君は、神田駿河台にある「ニコライ堂」に行ったことがありますか。
カトリック教会とも、プロテスタントの教会とも異なる雰囲気ですね。
1054年に、キリスト教会が東・西に分かれ、ローマ=カトリック教会と、ギリシャ正教会は全く異なる歩みをしてきました。
ニコライ堂は、ギリシャ正教会です。ロシアからの流れで、北海道にはロシア正教会の教会が多いですね。
受験アドバイス
いま、私が心配していることは、シベリアの「永久凍土」がどんどん溶けており、環境破壊はもちろんのことですが、その上に建設されている石油のプラントやパイプラインに悪影響を及ぼし始めているということです。
地中のメタン等が噴出すると温室効果がさらに高まって気候変動に繋がるなど、さらに悪循環に陥って行くことを恐れています。
最近の「線状降水帯」もその影響かもしれないのです。もはや「ロシアの国内問題」にとどまらない「地球規模の問題」として、国際協力のもとで取り組まなければならないです。そうしないと未曽有の事態になります。
最近の豪雨・猛暑は明らかに異常気象の結果です。「自然が怒っている」のです。
コロナ禍も収まる様子が見られません。「かけがえのない地球」・人類の危機です。
世界のリーダーたちが覇権を争っている場合ではないのです。
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