道程:私の道はわたしがつくる~インカ道と高村光太郎の詩~
はじめに
驚いたなあ!
相変わらず、難関国公立大の2次試験や難関私大の入試問題は難しい。
とても、普通の高校(授業)で教えられるレベルじゃない。
特に、文科省の「思考力」「判断力」をテストする問題は難しい。
これじゃ、得点率:50~60%で、どんな難関校でも合格できる。
しかし、普通に考えると授業の中で、難関校の入試に対応することは難しい。
お茶ゼミ√+生は、しっかり「講師の指導を受けること」が重要だ。
入試は、「大学の要求レベルに合致する能力の有・無」を試験するものだ。
受験生に配慮して出題することは少ない。だから難しくなるのは当然なのだ。
「選抜試験」だから仕方ない。じゃ、どうすればいいの?
君は、この状況の中で闘うのだ。「自分の道は自分でつくる」しかない。
道なき道を、切り開いて前に進む
インカ道はクスコから東・西・南・北に伸びた4本の道路のことです。ボリビア・チリ・アルゼンチンなど6ヶ国共同で世界遺産に登録されています。
これはアンデス山地にあった「旧い山路」を再整備したものだといわれています。物流と軍事のための「王の道」です。ローマのアッピア街道と同じですね。
最初は細くて狭い山道で、人間が長い間歩いて「踏み固めた道」です。
中南米には「馬」のように騎乗に適した家畜はおらず、「車輪」が使われていなかったから人間の移動は基本的に「徒歩」だったのです。
大学受験も「自分で道を拓く」のですから、アンデス古道も同じです。
受験アドバイス
『道程』 高村光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充(み)たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
誰が、何のために、どうして・・・?
「ナスカの地上絵」は、誰が、何のために描いたのでしょうか?
農耕に関係するなどの「説」がありますが、本当のことはわかりません。
私たちの行動も同じです。「動機は一つではない」のです。
まず、理由を整理するより「当面の目標」を定めて努力する方がいいですね。
いま、私の手元に「地上絵が刻印されたカフスボタン」があります。
友人からいただいた「私の宝物」です。いいですねえ!
また、私の手元に標高3,810メートルの「チチカカ湖の船」があります。
藁で造った小さな土産物です。「天空の湖」に浮かぶ葦の船がモデルです。
ここに私たちの「日常とは異なる生活と文化」があります。
異文化を理解し(To Understand Other Cultures)、実際に体験することは、君の人生を豊かにします。受験が終わり、コロナが鎮まったら、世界中を旅してみてください。面白いですよ。道をつくるのです。
受験アドバイス
一橋大学の「自由英作文」の問題をみてください。
三つのproverbsから一つ選んで100~140字で書くという内容です。
- 豚と農夫は仲良くなろうとするべきではない
- 返事が遅いのは、返事がないより悪い
- 適切な言葉は不適切な本より効果的である
何を、どのように、どの方向で書けばいいのでしょうね?採点基準はどうなっているでしょうね。どのようなイメージを膨らませて書きますか?
「proverbs」という単語は、英和辞典によれば、英検準1級以上・難関校以上を目指す受験生がマスターしなければならない「ことわざ」「金言」だそうですね。
志望校のレベルに沿って、マスターするべき単語が違う。数学・物理で活用する公式・公理のレベルも同じですね。地歴も要求されるレベルが違いますから、的確な勉強をしなくては「入り口でアウト」ですね。これが入試です。
遺跡の保護・保全は、誰のために・・・
ナスカの地上絵は、1939年にポール・コソックスにより発見されたものです。その後、彼の助手であったドイツの数学者・考古学者のマリア・ライへ女史が、終生この地に住み着き、地上絵の解明と保護に努力して、ようやく守り切ったものです。素晴らしい学者です。
最近(2020年10月)ペルー文化省は、全長37メートルの新しい「ネコの地上絵」発見したと報告しましたが、2019年に山形大学の坂井正人教授のグループが143点に及ぶ「新しい地上絵の発見」をしたと発表しています。
日本だけでなく世界中の伝統・文化・歴史に関心をもって研究をすることは、君の選択の一つです。まだ世界中に「未来への遺産」が沢山眠っています。
受験アドバイス
ナスカの地上絵は、AIやドローンによって、まだまだ発見される可能性があります。紀元前200年~紀元200年ぐらいのものが多いそうです。「考古学」は地味な学問ですが、魅力的な分野ですから、将来の「選択肢の一つ」です。
インカ帝国は、征服者ピサロによって滅ぼされた
「自国第一主義」・「他国はどうなっても構わない」という覇権主義が、ピサロの存在を許したのです。インカの豊かで多様な貴金属の文化遺産を、溶解し、「延べ棒」にして破壊してしまう。どんなに大切な歴史的・文化的な遺産が「刻印」されていたとしても、利益のために無視してしまう。平和に暮らしていた人々を酷使して、利益を最優先してしまった結果です。
1550年、征服者のあまりの残酷さ・ひどさに「ラス・カサス神父」が、国王カルロス1世に「インディオの人権」について訴えました。「バリヤドリッド会議」です。そこで、「人間に差別があって当然だ」と、インディオの人権を認めない学者と、大論争をします。
「差別」「偏見」についての認識は、現在も同じレベルですね。
フランシスコ・ピサロは、学問も教養もない人間だから「他国を尊重すること」も「異文化への畏敬」もないのです。その結果、インカ帝国は滅亡し、永遠にわからない世界に追いやってしまったのです。
受験アドバイス
早稲田大学の人間科学・世界史では、メキシコのカルディナス政権・農地改革が出題されています。日本史の「疫病・災禍」はコロナを意識して出題していますね。慶應義塾大・経済ではスペイン・ポルトガル・日本史では対馬・沖縄が出題されています。入試は、時代の流れに沿って「時事的な問題」と「地政学的な課題」を踏まえて出題されます。広い視野に立って「鳥の目」をもって、現代社会の課題に向き合うことが大切ですね。
インカ帝国の滅亡とコンキシタドール
スペインのカルロス1世は、神聖ローマ皇帝のカール5世と同じ人物です。
ピサロは、1528年に国王から「ペルー支配の許可」を取り、征服の特権、貴族の位まで授けられます。インカ帝国のアタワルパ皇帝は、1532年にピサロと会見しますが、その場で生け捕りにされ、身代金をして「莫大な貴金属」を要求されました。その上、1533年に処刑されてしまいます。
その後、ピサロは首都クスコを占領し、反逆を恐れて新都リマを建設します。
こうした征服者を「コンキスタドール」といいます。このような勝利を可能にした背景の一つは、鉄砲などの火器や剣、騎馬兵(アメリカ大陸には馬がいなかった)など、ヨーロッパの科学技術の圧倒的な優位があったからです。
さながら、現在の「核兵器の保有」が国際支配の決定力を持っていること、「国内の内部対立」と重ねてみるとわかりやすいですね。また、新大陸に「天然痘」を持ち込んだことも影響しています。天然痘は新大陸にはなかった「伝染力の強い病気」でした。沢山の死者を出している「コロナ」のようです。
受験アドバイス
君は、「エンコミエンダという制度」を知っていますか。難関校は、このレベルの知識を出題してきますから覚えておいてください。
これは、「遠隔地にある、広大な領土を確保し、維持するための制度」です。スペイン王権が、コンキスタドール(征服者)・入植者を使って、「功績」や「身分」に応じて、「先住民の支配を委託(エンコメンダ―ル)する制度」です。
だから「委託を受けたもの」は、現地の住民に強制労働を強いることも許されたのです。現在のペルーの「身分・経済格差が生まれた遠因」の一つです。
また「ミタ制度」による原住民の強制労働制度が許され、「大量の貧しい人」と、ものすごく「少数の富裕層」を生み出したことも理解しておきましょう。
「空中都市」マチュピチュ
最近、ペルーの「マチュピチュ」がマスコミで紹介されることが多いですね。
それほど、不思議な魅力と「謎」があって、一度は訪れてみたい遺跡です。
マチュピチュには、クスコから列車とバスとシャトルバスを乗り継いでいきます。観光客が増えて、マナーが悪く、汚染もされてきたので、ペットポトルの持ち込み禁止など、観光条件が厳しくなっています。マチュビチュの魅力は「謎」が多いことにあります。この遺跡は、南北4,000キロメートルにわたるアンデス山中にあって、標高2,450メートルにあります。インカ帝国が栄えたのは、1470年から1532年までの「わずか60年余り」に過ぎませんから、どうやって建築されたのか、なぜ放棄されたのか。どんな人が住んで、何をしていたのか。「謎」だらけです。君は、ここの棚田に何が植えられていたと思いますか?
遺跡が発見されてから、いろいろな説が出されていますが、インカ文明・独特の「精巧な石組」は、剃刀の刃すら隙間を通さないなど、多くの「謎」があります。解明されていないことが多いです。興味がわきますね。
受験アドバイス
皇帝「アタワルパ」の処刑は1533年。「織田信長」の本能寺の変が1582年ですから、これらとスペインとポルトガルの「植民地獲得競争」と重ねてみると、ポルトガルが「日本に急接近してきた背景」に、1494年の「トルデシリャス条約」があると予測できます。当時の覇権大国によって、南米ばかりでなく、日本も分割される条約ですね。外向的な恐ろしい話です。
また「世界経済に及ぼした影響の観点」からみると、16世紀の「ポトシ銀山」・「石見(いわみ)銀山」・「中国の銀の需要」の三つを絡めてみるのもいいですね。グローバルな観点から「インカ帝国」と「戦国の日本」を関連付けて考えるのです。君の歴史を観る目に加えてください。
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