旅と自由:光あるうちに光の中を歩め~旅に出て、旅に遊び、旅に生き甲斐を感じる人生~
はじめに
簡単に手荷物をまとめて「旅」に出る・・・。
自分を解放してくれるから、旅は楽しい。
私の海外への旅は、トーマスクック社の時間表をめくりながらだった。
現在はスマホで検索だろうが、試行錯誤する旅が楽しい。
海外でも、ローカル空港を繋いで旅すると、発見することが多い。
外国でも地方では、日本人は自分だけだったことが、何度かあった・・・。
旅は楽しいが、頻繁に失敗をする。その失敗が楽しくなければ旅は出来ない。
想い出の旅は、プラハから夜行列車で、ニュールンベルクまでの旅だ。
神聖ローマ皇帝「カール4世」についての展覧会が、ふたつの国・都市で、同時に開かれているという情報を得て、急遽夜行列車に飛び乗ったのだった。
社会主義国の「思想が優先する展示」と、資本主義国の「企画者が自由に工夫する展示」を比較して観たかったのだ。「こんなチャンス」はめったにない。
国境に来ると、真夜中だというのに車掌が来て、パスポートを検閲する。一人旅は楽しいが、「ここで検閲に引っかかったら・・・」と、困惑する。
旅は、拘束されない「自由の響き」を宿している。が、危険性と同居だ。
自由に生きることは難しい。好奇心と努力を超える意志が要求される・・・。
受験アドバイス
展覧される内容は「社会主義国」と「資本主義国」では、全く異なります。当時のチェコスロバキアは社会主義国だから「唯物史観」で展覧会が企画され運営されていました。私たちが普段体験し、知っている内容とは異なるのです。<労働者バンザイ>で統一されるからです。近年ならロシア・中国の展覧会と、私たちが日常で経験する展覧会との違いだと思えばよいでしょう。
チョットわかりにくいでしょうが、この「ふたつの異なる価値観」を具体化すると著しいのです。「現在の香港」はどうなっているでしょうね。怖いです。
台湾は、この「せめぎあい」の真ん中にいると考えれば理解しやすいです。
日本の将来の文化は「親米」と「親中」でまったく異なると思ってください。
ヨーロッパの吟遊詩人・日本の琵琶法師
「自由な生き方」といったら、やっぱり芸能・芸術家をイメージしますね。
今日も、街中でミュージシャンたちが「I love you・・・」と、唄っています。ヨーロッパ中世の吟遊詩人は、リュート・ホーンパイプなどの楽器を奏でながら、貴婦人への愛・英雄の武勲詩・アーサー王をはじめとする騎士道物語を吟唱していました。彼らは、諸国を旅するほかに、王侯貴族に仕える者もいました。
日本の琵琶法師たちは「平家物語」をメーンにして歌いつなげていました。
吟遊詩人は、フランス・イングランドではトルバドゥール・トルヴェール、ドイツではミンネジンガーなどと呼ばれましたが、14世紀以降になるとマイスタージンガ―と呼ばれました。ギルドが生まれたのです。
受験アドバイス
私が知っている社会主義国には「観光」という概念はありませんでした。
旅人は、たくさんの「情報」を持っていますから、地域の人と触れ合うと危険です。だから交流を「遮断」したのです。社会を混乱させるということで、物流のための商人宿も外国の要人の宿舎も「郊外の指定されたホテル」でした。
私もパスポートをフロントに預けることが義務付けられたり、先方からの「招待状(invitation)」が要求されたりして、入国は厳しかったです。タクシーの中で撮った街角のスナップ写真も、ホテルに帰ったら、即座に提出が要求されたりしました。「自由」というのは、それほど為政者には危険なことです。
吟遊詩人が持ってくる各地の情報も、時にはスパイの役割も担っていたのです。現在でもロシアや中国では「SNSを制限」したり、「システムを切ったり」して、「情報を遮断」しているというニュースがありますね。
ウクライナの戦争にしても、ロシアの民衆には、戦況をはじめ正確な情報が伝わっていないといわれます。
「ヒカリモノが大好き」な中東の人々
旅をするなら、何といっても中東の国々が面白いです。現在は政情不安で、自由な旅がやりにくくなっていますが・・・。残念です。
中東は、日本の価値観と異なり、ギラギラしています。砂漠の民です。
例えば、スークと呼ばれる市場に行ってみればわかります。市場は迷路で、日常雑貨から高価な金製品まで、「ところせまし」と並べられています。
時々「イラッシャイ!」なんて片言の日本語で声がかかります。こういう店は怪しいから、近寄らないことです。(笑)
日本の「わび・さびの美しさ」なんていっても、通用しません。こうしたギラギラした人たちと石油交渉などの付き合いをして、日本の国益を守るのです。
バザール・スークを興味次第で歩いていくと、どこに行くかわからないです。
店頭を見ているだけで楽しいですが、絨毯など少し高価なものでも、買う気があれば「駆け引きを楽しむ」ことができます。面白いですよ。先方の顔を見ながら雑談し「言い値の三分の一」から交渉に入るのです。短気の人はダメですね。相手は「さすがという商人」です。顧客のレベルを見抜いて交渉してきます。店員が、奥に入って店主と相談する価格・値段になると、ほぼ交渉がまとまります。君は、将来商社マン志望ですね。こんなことに慣れてください。
サラセンの社会は「商売の世界」だから、駆け引きを楽しむのも仕事のうちです。時間をかけて、じっくり値踏みをして、品質を見て、交渉して、売買するのがルールなのです。君の「商品を見る眼」が弱わければ誤魔化されます。
私は10年間に10回以上、イスラム世界を旅してきましたが、旅するだけでも楽しかったです。勿論、田舎町も歩きました。西洋諸国を旅するのと違い、ラフな格好をして、ラフに旅することが基本です。
異質な世界を旅することは楽しいことです。一口に中東諸国といってもいろいろな国がありますが、イスラムを信じる地域だから「女性と握手しない」など基本的なイスラムのルールを外さなければ、自由を満喫できて楽しいです。
受験アドバイス
日本人は、あまりにもイスラム世界を知りません。しかし実際には、アラビア語を語源としているものが身近に沢山あるのです。
アルカリ・アルコール・マルナック・アルゴリズム・カシミア・デニム・フリーズ・ツイート・ガーゼ・モヘヤ・コットン・ソファー・マガジン・オレンジ・シロップ・バナナ・シャーベット・ソーダ・・・君が、ほとんど知っている単語でしょう。
私は、今後の世界に影響を及ぼすのは「イスラム圏」だと思います。次のサッカーW杯がカタールで開催されますから、マスコミが取り上げてくるかもしれません。
最近、「宗教」が及ぼす影響の大きさに関心が集まっていますが、日本の将来を考えると、「六信五行」などイスラム教にもっと注目するべきだと思います。
ワルチング・マチルダ(Waltzing Matilda)
オーストラリアの海岸線は、ものすごく長いです。ズット、ズット遠くまで続くのです。散歩に出ると、背中に当たる太陽の光が心地よいです。砂浜に座り遠方をみると、海岸にはサーファーが一人いるだけです。
この土地が昔、イギリスの「流刑地」だったという記録が、嘘のようです。
流刑者の中には、旧い伝統や慣習に縛られないで「自由に生きること」を満喫した人もいただろうと予想します。現在のような国家体制が整うまでは、資源が豊富な「自由の天地」でしたからね。
「ワルチング・マチルダ」は、オーストラリアの第二国歌と言われるほど愛されています。が、歌詞の意味・背景・歴史過程が分からないと、とんでもない誤解をします。この歌は、貧しい放浪者が「自由でいたい」と自殺する歌だからです。自由な放浪者が、組織・体制を拒否する歌でもあるのです。
Oh! there once was a swagman camped in a Billabong,
Under the shade of a Coolibah tree;
And he sang as he looked at his old billy boiling,
"Who'll come a-waltzing Matilda with me?"
ワルチングという意味は「当てもなくさまよい歩く」という意味です。
マチルダとは「寝袋のような束になったもの」という意味で、いわば貧しいホームレスが、オーストラリア大陸を<さまよい歩く=自由>という意味です。
「渚にて」という映画と核兵器・放射能
私は、ネビル・シュートの小説を原作としたスタンリー・クレイマー監督の映画『渚にて』(1959)が好きです。
この映画は、第三次世界大戦で北半球が放射能に汚染され、地球上で、最後に残った人類の生存場所である南半球のオーストラリアを舞台に描いています。
この映画の中では、この曲が映画のメイン・テーマ的な位置付けで、繰り返し用いられているのです。長い海岸線があるオーストラリアでしか撮れない映画です。ウクライナでロシアが核兵器を使用したら、必ず南半球も巻き込まれます。人類には「逃げ場」はないのです。
受験アドバイス
池上彰さんは<週刊文春:連載535>で、“「新しい冷戦」の実態は、イデオロギーではなく「失われた領土」を取り戻し「栄光の帝国」の復興を目指す<ロシア>と<中国>、それを「現状を力で変えようとしている」と危機感を持った<アメリカ>が阻止に走り、代理戦争が起こっている”と書いています。私は「自分が日本人である」という<立ち位置>から離れて考えてはならないと思っています。憲法にあるように、<国際社会で名誉ある立ち位置にいる>ことを意識して「行動する」時です。
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