橋を架ける~誰に、どんな橋を、なぜ、どのようにして架けるか~
はじめに
「明日に架ける橋」という歌があります・・・
サイモン&ガーファンクルの名曲だから、君も知っているでしょうね。
「戦場にかける橋」という名画もありました。日本人が登場しますね・・・
「橋渡し」という言葉は、こちらから、あちら側に架ける橋のことですね。
幸せな「橋」ばかりではないことを歴史が語っていますね・・・
「Over the rainbow」という歌がありますね。この背景は、とても厳しいです。
しかし、この歌は、永遠に歌い継がれていくでしょう・・・
君は、いま、どこに、どんな橋を架けようと思っていますか?
受験アドバイス
虹は「光」ですね。光は「粒子」でしょうか。それとも「波動」でしょうか?
粒子説は、ニュートンが光学の研究を「プリズム」を使って実験し、導き出した説ですね。プリズムに太陽光を当てると、ひとつの光が、プリズムを通して七つに分かれて出てきたのですね。
それ以前に、オランダのホイエンスの波動説があって、粒子説と激しく対立しました。アインシュタイン以降、「光量子」として、粒子と波動の二重性が量子力学でまとまったようです。
瀬戸大橋:本州と四国を結ぶ
私はしばらくの間岡山にいましたから、しばしば瀬戸大橋を渡って四国まで行きました。大海原を渡るのですから、時には大風が吹いてきます。深い海に海中基礎を作り、海流の速度を計算し、約1万キロに及ぶ橋を造るにはどうするか、と考えたものでした。土木・建築の分野ですね。
やがて「しまなみハイウェイ」ができて、島々を結びました。
昔、瀬戸内海は大陸の大河のようなもので、大阪・奈良・京都に物流の基幹道路のようなものでした。だから、当然水軍が活躍する舞台でもありました。河野水軍・村上水軍などです。橋の建設により「こうした歴史」は消えましたね。
受験アドバイス
瀬戸大橋の建築に使われたコンクリートは200万m3、鋼材47.3万t(鉄筋9.3万t、構造鋼材30.5万t、PC鋼材1.0万t、ケーブル6.5万t)であるといわれます。私は素人ですからこれ以上はわかりませんが、この橋を造るために「水中発破」や「海中コンクリート」を使ったことは世界的に例が少なく、とても大きなチャレンジだったと言われます。
『橋を架ける』ことを通して「新しい技術」が開発されたのですね。
ローマ帝国の「水道橋」はすごい技術力です
古代ローマ時代の水道橋をみると、人間の叡智の凄さを感じます。
ともあれ、圧倒的にすごいのですよ。どこの誰の設計で、どんな労力をかけて建設したのか・・・。例えば、フランスにあるガール橋です。
現在では、16階建てのビルに匹敵する「49mの三層構造の水道橋」です。
高度な建築技術により、水路はポンプを用いずに、1日に2万m3の水を供給できたといいます。この橋が、何と西暦50年ごろにできているのです。この建築・土木技術のレベルの高さに驚愕です。
ローマ帝国の支配の柱は「道路」と「橋」でした。軍事道路と生活水路の施設です。帝国は領土の拡大、つまり『橋を架ける』ことで、領土の安定支配を確立していったのです。ローマの水道橋は、21世紀の現在でも一部使われていますから、ものすごくハイレベルの技術ですね。
現在でも「水がないところ」には、都市も工場も建てられません。
受験アドバイス
古代ローマの中心を流れていたテヴェレ川には、現在四つの橋が残っています。そのうち古いものとしてファブリチオ橋(BC62年)、チェスティオ橋(BC43年)があります。
そのどれもが石造りアーチ橋で、2,000年近く前につくられた橋が、今も使われているのです。その上を自動車が走っています。すごいですね。
ペルㇱアは、約6キロの「舟橋」を造った
ペルシャがギリシャを攻めるにあたって、とんでもない舟橋を造りました。
軍隊が海上を行進するのです。勿論、現代の「瀬戸大橋の建設」のようにはいかないです。激しい海流の下に、岩盤を構築することはできません。ましてや、海中コンクリートなんて考えられない時代です。しかし、アケメネス朝ペルシャのクセルクセス大王の軍隊は、600隻以上のボートをパピルス製索と白麻製索のロープで結び、反対側の岸に渡ったと、ヘロドトスは『歴史』に書いています。
イスタンブールのトプカプ宮殿がある小高い丘から真下にボスボラス海峡があります。そして、右手むこう側の奥に「ダーダネルス海峡」がみえます。
クセルクセスの軍隊は、ギリシャのアテネ・スパルタ連合を攻撃するために『船橋』を強引に造ったのです。
紀元前481年。クセルクセス大王の軍隊は、アジアとヨーロッパを隔てていたヘレスポント(ターダネルス)まできました。クセルクセス王は、軍隊を反岸にすばやく移動させるために、「舟橋」を造ることを考えたのです。船をロープでつないで造るのです。
ペルシャ軍は、兵力15~20万、軍艦1,207隻、舟艇3,000艘に及ぶ膨大なものだったといいます。迎え撃つギリシャ軍は528万だったといいます。規模が違いますね。ヘロドトスはこれ以上の規模のことを書いていますが、「現代の専門家の積算」ではこの程度だといいます。それにしても凄い!
ダーダネルス海峡に架けた橋は二本です。一つの橋は334隻・もう一つの地橋は360隻、軍馬やその他荷を運ぶ動物が、怯えず進めるように、橋の両側には「塀」が造られたといいます。その長さ約1.6キロです。そして、武具で身を固めたペルシャの大軍。切れ目ない行進は、橋を渡り切るのに七日七晩かかったと言います。
受験アドバイス
ウクライナでは、ロシア軍の侵攻を阻止するために、市中に通じる橋をわざと破壊しているという情報があります。生活道路の橋を壊したら、自分たちは「どうなるか」を覚悟したうえで破壊するのです。そんなに無惨で悲しいことはありません。
「未来に架ける橋」は、どのような形であっても、私たちの生活を豊かにするものでなくてはいけません。いま私たちは、大変大きな「試練」の前に立たされていることを自覚しましょう。
「Over the rainbow」と「ドナ・ドナ」の歌
どちらも圧迫された「ユダヤ人」の作詩・作曲です。
前者は、ミュージカルの『オズの魔法使い』の挿入歌(1939年)です。
後者は、1940年にユダヤ劇場で発表されています。どちらも「自由に空を飛ぶ鳥」と比較して、「空を飛ぶことができない運命」を嘆く内容が背景にあります。ユダヤ人迫害の同じ時期の作品です。
この後、ホロコースト。ユダヤ人の虐殺がありましたね。杉原千畝さんの難民救済の活躍は1940年でした。ウクライナの戦争はどうでしょうか?救済の『橋』があるでしょうか?
では、歌詞のはじめだけでも、自分の言葉で翻訳してみましょう!
Somewhere over the rainbow, way up high
There's a land that I heard of once in a lullaby
Somewhere over the rainbow, skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true
この歌は、第二次世界大戦中の不安な時代の励ましの歌となり、日本人にとっては、戦後の復興に向けた「未来への希望の歌」となりました。最近公開されたジュディ・ガーランドの伝記映画「JUDY」のラストシーンも、如何にその時代を生きた人たちにとって「自分自身の歌」であったかが分かります。
受験アドバイス
アンネ・フランクは15歳のユダヤ人の少女です。彼女はナチスのユダヤ人狩りを逃れて、ドイツからオランダに逃げてきて、隠れ家で生活しました。隠れ家の二年間の出来事を、日記に書き続けました。『アンネの日記』です。
1944年8月に隠れ家が発見され、アンネは強制収容所に移送されそこで命を落としました。アンネにとって「命を守る橋」はなかったのです。
「人生は吊り橋を渡るようなものだ」といった人がいます。では、橋をふたつ。
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