転換点:出会いと別れの繰り返し~「変化」を見極める力が運命を変える~

はじめに

私が通っているジムの友人は、40年間、ブラジルで過ごして帰国した人です。

会津若松の人ですが、仕事の関係でブラジルに行ったそうです。

一族には、白虎隊で自決した人もいたそうです。白虎隊は潮目の悲劇です。

「近日中にブラジルから友人が来るので、観光案内する」と言っています。

過去と未来が連動し、重なり、普段見られない潮目が生まれます。ブラジルに渡った人・そこに住みついた人・帰ってきた人。様々な新しい交流です。

潮目

新・旧が激しくぶつかり合い、やがて新しい流れが生まれます。

出会いが「発展」させる反面、離別への拘りが「反動」を呼びます。

この独特の空間に生まれた衝突が「事件」になり、物語の舞台になります。

この「潮目」をどう見るか、どのように判断し行動の方向を見極めるか。そして今、コロナ禍も、ウクライナ侵攻もChat GPTも「潮目」を象徴しています。

受験アドバイス

会津若松の「鶴ヶ城」は美しい城です、飯盛山から眼下に広がる会津若松の街並みを観ながら「白虎隊は美談ではない」と思いました。

「白虎隊」の悲劇は、戊辰戦争を冷静に「潮目」として見ることができなかった為政者(両軍)の判断ミスから生れたものです。前途有望で純真な17歳前後の少年たちを「自決」に追い込んだのは、古い潮流と新しい潮流のぶつかり合いで、為政者の選択ミスの結果です。「時流を読む力」は、多くの人の運命を変えてしまいます。

将来、指導者になる君は、しっかり勉強し、研鑚を積んでください。「白虎隊顛末記」は生き残りの飯島貞雄氏が残した貴重な記録です。

潮目になった「歴史的事件」は

現在、戦闘で揺れているアフリカ・スーダン。その国が持っている地下資源(石油・金・鉄鋼)を争う戦いも潮目のひとつです。歴史的には、市民革命の潮目のひとつは「ヴェルミーの戦い」でした。プロイセン軍の中にいたゲーテは日記に「この日ここから、世界史の新しい時代が始まる」と記しています。

自由の女神 ドラクロア
自由の女神 ドラクロア

独・ソ戦では「スターニングラードの戦い」、英・仏のアフリカの支配の方向づけをした「ファッショダ事件」、日・米の太平洋戦争では「ミッドウエーの海戦」が「潮目」でした。

日本の歴史では、明治維新・盧溝橋事件・日英同盟・日露戦争・日清戦争・太平洋戦争・日米安保は「分岐点」でした。すべてが『戦争』に繋がりますね。政治家に「潮目の認識」が欠如していたことが問題です。

受験アドバイス

「黒船」は日本にとって、鎖国という過去への別れであり、未来への門出でした。ペリーは、日本人が知らない「通信と電気の技術」をもって来航してきたのです。

黒船
ペリー

ペリーが伝えた、電線・電池・「ガラスがいし」は、日本で初めてのものばかりでした。1854年、横浜で約900m離れたところに電線を架し、電信デモンストレーションを行いました。日本の電気通信の幕開け(潮目)です。

ペリー提督が幕府に献上したエンポッシング・モールス式電信機
ペリー提督が幕府に献上したエンポッシング・モールス式電信機 【画像の引用元

黒船とは、蒸気船の来航だけでなく、こうしたことをトータルでいうのです。日本人はひたすらビックリしただけでなく、「その仕組み」を聞こうとする姿勢があったので、逆にアメリカ側が脅威を感じたと『日本遠征記』に記録されています。

「ひき潮」に乗った人の悲劇

潮目は読むことができますが、潮目を作ることはできません。「ひき潮」に乗った人は悲惨です。「グローバル人材」の先駆けになった人が受けた悲劇の典型は、1582年のローマ教皇を訪問した「天生遺欧使節」の少年たちと、「慶長遺欧使節」の支倉常長です。少年たちは、1年4か月の滞在にすぎませんが、ヨーロッパ社会の文化に触れ、活字印刷機・観測器・海図などをもって帰国しました。彼らのグローバルな感性を活かしたら、日本の歴史は変わったでしょう。「イソップ物語」「平家物語」などが印刷され、その中にグーテンベルクの印刷機があったそうです。すべて「キリシタン禁令」で潰されてしまいました。多方面から多様な潮が来て、潮目が変わったからです。

また、支倉常長の「慶長遺欧使節」(1613年)は、伊達政宗の命を受けメキシコとの直接貿易を求めて、スペイン王の許可を得ることを目指して実施されたものです。常長の一行は、スペイン人40人を含めて当初180人で、主体は交易商人だったと言われます。帰国しなかった人・亡くなった人も多く、仙台に帰国した人は13人くらいだといわれます。(数字は不確実です)。

現在、スペインに「ハポン」という姓が多い地域があります。彼らは、支倉常長に同行した人で、日本に帰国しなかった人たちの子孫だと言われています。この街にはハポン(Japon)という姓を持つ約600人余りの人が暮らしているそうです。

ハポン姓の人が居住している地域
ハポン姓の人が居住している地域 【画像の引用元
ハポンの姓を持つ人たち
ハポンの姓を持つ人たち 【画像の引用元

常長一行はスペインのマドリッドに到着し、フェリペ3世に謁見し、ローマ教皇パウロ5世の支援を受けるためにローマまで行きました。経済交流ですから、発想も行動も画期的です。1620年に帰国。折から「キリシタン禁令」「宣教師追放令」という「真逆」の潮にであい、幕府の「鎖国政策」の下で支倉常長は失意のうちに亡くなりました。250年後、「岩倉具視使節団」が史実を発見するまで、太平洋と大西洋を横断した業績は封印されてしまいました。

「鎖国」は封じ込め・引き籠り政策ですから、民衆は世界の動きから遠ざけられ、内向きの鎖国政策は「安定という停滞」で、世界の潮流から400年遅れました。明治の「近代化」は、その遅れを取り戻そうとする「無理」から生まれたものとも言えます。

受験アドバイス

日本で最初に「グローバルな発想」をした人は織田信長でしょう。ルイス・フロイスの『日本史』によれば、イエズス会の宣教師からインドやヨーロッパ諸国の情勢を聞き、強く関心を持ったそうです。世界地図や地球儀を見てイメージを膨らませていたのでしょう。当時としては、飛び抜けた発想と行動をするので「暗殺」されましたが、信長はどんな状況でも「鎖国」をしなかったでしょう。宣教師からオルテウスが製作した『世界地図』を見せてもらい、信長は世界的な展望で「野心」を燃やしたと予想すると楽しいですね。

オルテリウス・世界地図
オルテリウス・世界地図 【画像の引用元
安土城・イメージ
安土城・イメージ 【画像の引用元

「安土城」は、伝統的な日本の城とはかけ離れた造りだったようです。

建築物の中の「潮目」をみる

「潮目の時」に、異形ともいえるものが生まれます。日本の歴史的建造物を見ても、「鎖国」をやめて「開国」の時に特色ある建物が生まれています。明治になって西欧文化が怒涛のように入ってきます。この時代の建造物をみると、技術を持っている建築家(大工)は日本人で、蓄積された「伝統的な技術」をもっていますから、新しく導入された「西洋の発想」を巧みに昇華させて新建築を作っています。その中で全国各地に「和洋折衷の建築物」が建てられます。

和洋折衷建築 盛美館(青森)
和洋折衷建築 盛美館(青森) 【画像の引用元
開智学校(長野・松本)
開智学校(長野・松本) 【画像の引用元

戦争や火災で喪失したものが沢山ありますが、現在でも、地方都市に多くの立派な和洋折衷の建築物が残っています。是非、見比べてください。

石材建築(アテネ)
石材建築(アテネ)
レンガ建築(福岡)
レンガ建築(福岡) 【画像の引用元

海外に目を向けると、ギリシャ・ローマ時代の「石材建築」、中世の「レンガ建築」から、19世紀以降の「コンクリート建築」を比較すると、見事に「潮目」が変わっていることに気づきます。「コンクリート素材」は、建造物の大型化・高層化を実現していますね。コンクリートは「加工しやすい」ばかりでなく、新素材の「ガラス」や「鉄骨」と組み合わすと、多様な建築が可能になったのです。

曲線を活かした建築物
曲線を活かした建築物
コンクリート建造物群
コンクリート建造物群

そして一挙に都市設計を変革します。単体の建築物だけでなく、都市全体のつくり方(アーバンデザイン)の変革です。ナイジェリアの首都アブジャの設計に関わった友人の話では、「現代的な都市」と「伝統的なナイジェリアの建築様式」を融合させ、景観を大切にした都市の構成は、楽しかったそうです。

受験アドバイス

神戸の郊外。「異人館」が並ぶ街中を歩くと、和洋折衷の多様な建造物を見ることができます。もともとは、海外から来た貿易商の邸宅が主ですから、贅沢なほど多様で変化に富んでいます。

異なる文化が融合する過程で生まれた傑作です。独特の美しさがありますね。

融合する文化は、食文化・芸術・スポーツ・デザインと多彩に開花しました。

テニス・ゴルフも横浜・神戸の外人居留地で紹介され発展したものです。

モダニズムの建築は「新素材」の中で

君は「コンクリート工学」に興味がありますか?

コンクリートは加工が容易で、強度があり、大型化・高層化が可能です。合理的・機能的で、ガラスで自然光を取り入れる建築物がたくさん生まれました。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエなどの作品は、シンプルなデザイン・素材の美しさを大切にしています。アメリカのフランク・ロイド・ライトの作品は自然環境との調和を重視して多くの影響を遺しました。これが「モダニズム」といわれる建築スタイルです。世界遺産に指定された上野の「国立西洋美術館」は、ル・コルビュジエが設計したものです。

以下、ル・コルビュジエの作品です。

サヴォア邸(仏)
サヴォア邸(仏) 【画像の引用元
ロンシャン礼拝堂(仏)
ロンシャン礼拝堂(仏) 【画像の引用元

建築素材が石材やレンガでは、このような形の建築は出来ませんね。

受験アドバイス

「ポストモダン建築」は、モダン建築が「無個性や冷たさ」と感じられたことへの「反動」として生まれた建築のスタイルです。装飾性・折衷性・過剰性などを回復し、歴史や文化の多様性を尊重したデザインが特徴です。しかし、周囲の環境との調和よりも、過剰な装飾・奇抜なデザイン・実用性に欠けるという批判の中で「潮目」を迎えました。国立競技場を設計した隈研吾・磯崎新さんらが日本の代表的な建築家です。建築史はおもしろいですね。

シュトゥットガルト音楽演劇大学
シュトゥットガルト音楽演劇大学 【画像の引用元
プラハのダンシングハウス
プラハのダンシングハウス 【画像の引用元

(安達昌二:お茶ゼミ√+特別顧問)

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