スティーブ・ジョブズと座禅~色即是空・空即是色とは何のことか~
はじめに
世界を変革した男、スティーブ・ジョブズ(米)が禅の影響と受けたということは有名ですね。彼はアップル社を創業したカリスマです。
彼は若い頃インドに旅行し、禅の思想に触れ禅の哲学を自分の生活と仕事に取り入れることで、アップル社のビジョンと革新的なアイデアを追求することができたといいます。
スティーブ・ジョブズが大切にしていたことは三つですね。
①「単純であること」②「使いやすいこと」③「美しいこと」です。
これは、禅の精神から来ているものであるといわれます。では、禅の精神とは何でしょうか?今回は、この禅と仏教について考えてみたいと思います。
コラム【坐禅のスタート】
仏教の開祖のゴータマ・シッダールタは、約2,500年前に難行・苦行の修行を止めて、ブッダガヤの菩提樹の木の下で「坐禅」を組み、「悟り」を開いた者(覚者)になったといわれます。
仏陀は「悟りの内容」を積極的に話すことに躊躇しましたが、やがて弟子たちに向かって語り始めました。「初転法輪」です。仏教の始まりです。「人生は苦である」という認識が出発点にありましたから、この「苦」から脱する方法として、仏陀が「最初に取ったスタイルが坐禅」です。坐って、瞑想にふけることを徹底して「悟り」にたどり着く。これが禅の始まりです。
禅の始まりと達磨大師
一般的な禅は達磨(だるま)大師からスタートしたといわれます。達磨大師は釈迦から数えて、28代目の弟子だそうです。南インドの王子として生まれましたが、修行の末に会得した禅を携えて中国に禅を伝えたのは、6世紀頃とされています。少林寺で9年もの間、洞窟の壁に向かい、ひたすら坐禅を続けた「面壁九年(めんぺき)」という逸話がよく知られています。経典に頼らず、坐禅という実体験から悟りに辿り着こうとする禅のあり方を「不立文字(ふりゅうもんじ)」といいますが、これも達磨の言葉です。文字で伝えられることには限界があり、体験に勝るものはない、という教えの基本です。
達磨大師は洞窟で坐り、手足が腐って歩行困難になったけれど、目覚めた悟りの境地は揺らぐことがなかったといいます。これが「七転び八起き」です。
コラム【「臨済宗の禅」と「曹洞宗の禅」】
日本の禅は13世紀、鎌倉時代初期に発展しました。その立役者は、栄西と道元です。臨済宗は栄西によって中国から伝えられました。「臨済宗」は坐禅を「悟りに達する手段」として捉え、坐禅の最中に「公案」という課題を与えます。弟子は坐禅を組みながら師匠から与えられた「公案」に取り組み、答えがわかったら自分の見解を述べるという、「禅問答」が行われます。このやり取りが「修行」です。「看話禅」(かんなぜん)といいます。臨済宗はいくつかに分派し、現在は妙心寺を本山とする寺派と建長寺を本山とする寺派が中心です。
「曹洞宗」は道元が開きました。「正法眼蔵」にあるように、坐禅に目的も意味も求めないで、黙々と「ただ坐る(すわる)」ことを徹底する坐禅です。「只管打坐(しかんだざ)」といいます。「坐って、瞑想するだけ」です。「黙照禅(もくしょうぜん)」とよばれます。現在は、大本山の永平寺と總持寺が中心です。
ひたすら坐る
私はむかし、静岡市にある臨済寺で、雲水(うんすい)に混じって「接心」という修行の場に参加させてもらったことがあります。外来者ですから、老師様から「公案」をいただけませんでしたが、非常に印象に残る体験でした。静岡市にある臨済寺は徳川家康が今川義元の人質をして預けられた古寺です。
スティーブ・ジョブズが体験したのは、「サンフランシスコ禅センター」です。ここで「只管打座(しかんだざ)」を修業したのですね。彼は、乙川弘文老師から「ひたすら坐る」という「瞑想法」の指導を受けたといわれます。禅の精神が、ジョブズによって「無駄を削ぎ落した」シンプルなビジネスモデル・製品に繋がったのかもしれません。いいかえると、「単純」「わかり易い」「美しい」というコンセプトは、禅の精神の具現化したものかもしれません。
アメリカの禅の拠点「サンフランシスコ禅センター」は、1966年に鈴木俊隆師によって開かれ、乙川弘文さんはその助手として渡米したといわれます。
コラム
高校時代の友人と話していたら、鈴木俊隆老師は焼津市にある林叟院(りゅうそういん)の住職だったそうです。現在、永平寺で講義している鈴木包一師の父上だったのです。俊隆老師はアメリカに渡り禅を広めた人です。「般若心経の英訳」し、禅を欧米に広めました。鈴木大拙師と共に、欧米では「二人の鈴木」として著名です。
『般若心経』はいつ書かれたのか
仏教の精神を凝縮させた『般若心経』がいつどこで書かれたかはっきりしていませんが、5~6世紀頃ではないかと推測されています。4~5世紀の鳩摩羅什(くまらじゅう)の漢訳本があるため、もっと早く成立していたと思われていましたが、最近の研究では羅什訳は後の時代の偽作の可能性が強いのだそうです。だから『般若心経』の成立が確認できるのは7世紀初頭頃になってからだと言われます。有名な「玄奘(げんじょう)」がインドから中国に持ち帰った「大般若経」が原書とされています。三蔵法師はサンスクリット語で書かれていた大般若心経を漢語に訳し、600巻ほどにしたためました。その600巻のエッセンスをわずか300字弱で表現していたのが『般若心経』です。
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『般若心経』はこれまでにいろいろな人が解説していますから、君は自分で調べてください。簡単に概説すれば、シャープリトラという弟子が、瞑想に入っている仏陀に代わって「観世音菩薩」に「この苦しみから逃れるにはどうすればいいですか?」と質問したことに応える会話が内容になっています。「私や私の魂は存在している」と思っているけれども、実際に存在するものではない。私たちの存在は「五蘊」といって、色(物質)・受(印象)・想(イメージ)・行(意志)・識(思考)から成立するものであって(五蘊)、これらは存在を構成する「集合体」にすぎない。五つの内どれもが私ではない。だから、「私というものはどこにも存在しない」というのです。
すなわち「色即是空」だというのです。「色」とは、この世のすべての事物・現象のこと。「空」とは、固定的な実体はないということです。だから「色即是空・空是是色」ということは万物の本質は実体のないもので、「虚しい空である」という意味になります。すべてが、私の理解を超えています。坐禅をして悟るしかありません。
色即是空・空即是色
「禅の庭」は自己を見つめる庭です。一言でいえば「絶対的真理」、身体で体得する修行に励み、自らを空にすることができたとき、はじめて形となって「禅の庭」が完成するのだそうです。禅庭は「禅の美が表現された空間」であるといっているのです。賑やかに観光する場ではないのです。
正直にいえば、私には『般若心経』に遺された仏陀の教えは分からないです。頭でいくら考えてもわからないのですから、坐禅をして「無の心」に徹する必要があるのですね。求道者として未成熟ですから仕方がないです。
キリスト教は、「恩寵」「犠牲」「贖罪」「救済」「祈祷」「瞑想」など、スコラ哲学など「論理の積み重ね」である程度は理解できるつもりですが・・・。これも怪しいですね。(苦笑)
禅でいう「空」や「色」は「直観」ですから、キリスト教の「神学」やイスラム教の「コーラン」の神の声を聴くこととは根本が異なります。
人間が「坐禅」を組み、自分の欲望(我執)を解き放ち「無」を体得することだから、解釈の世界ではないのです。スティーブ・ジョブズが「只管打座」で覚ったことは、「直観の果て」にあるものかもしれません。
コラム【「禅宗」と「浄土宗」】
臨済宗・曹洞宗の禅のほかにも、黄檗宗の禅があります。
黄檗宗は、江戸時代に中国から来日した「隠元隆琦」により開かれました。黄檗宗も臨済宗と同様に、坐禅をすることによって悟りを得るという教えを持ち、「看話禅(かんなぜん)」が行われます。その他、亀山禅・宗峰禅・雲門禅などがありますが、いずれの禅も「自己の確立」を要求する宗教です。甘えを削ぎ落し、徹底して自己を見つめ、自分が持つ「業」からの脱却を試みます。自力本願です。栄西禅師の時代の臨済宗の坐禅は、時の権力者・インテリ・富裕層に支持され、妙心寺のような巨大な伽藍を形成することできました。
しかし「庶民」は、同じころ「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで「救われる」と説く法然・親鸞らの「浄土宗」「浄土真宗」の他力本願の信者になった人が多かったです。
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