クリスマス休戦・平和への祈り~入試直前1か月に大切なことは「体調管理」~
はじめに
「共通テスト」まで、あと20日。中学入試まで、約50日。
まさに、臨戦体制のタイミングです。
この時期に一番大切なことは「体調の管理」です。
一日一日が貴重ですから、「風邪を引いたり」「下痢したり」しないことです。
運動不足にならないこと。気分転換に留意すること。
勉強では過去問をみて、「時間内にやり切れる練習」を怠らないことです。
デイフェンス科目で失点しないこと。オフェンス科目で確実に得点すること。
今年も、試験場に「マスクを用意」しましょう。自分と他者のためです。
クリスマス休戦は本当にあったのですか?
1914年のことです。
第一次世界大戦の最中に、「クリスマス休戦」は西部戦線の塹壕の中で発生しました。この休戦は、ドイツ兵と連合国(フランス・イギリス・ベルギーなど)の兵士たちが自主的に行ったのです。
塹壕戦争ですから、両軍が塹壕に篭り、非常に過酷な状態にありました。
クリスマス前夜、兵士たちはお互いにクリスマス・キャロルを歌ったり、クリスマスプディングを交換したりしました。休戦になると敵対行為を中止し、兵士たちは塹壕を乗り越えて親交を結んだのだそうです。これは、政府の上層部の指示ではなかったのです。現在でも、多くの報告や手紙・写真が残されています。
ベルギーのイーペル(Ypres)・フランスのアルトワ(Artois)・ヴェルダン(Verdun)が有名ですが、各地で似たような出来事が発生したようです。
この感動的な出来事は一時的なもので、後には戦闘行為が再開されたのですが、戦争とは国家権力と国家権力の争いであり、一般兵士は手段として使われ、捨てられ、殺されていく存在にすぎないことを、美談と共に伝えてくれますね。
世界中のクリスマスが、12月25日ではありません
私たちは、クリスマスといえば「12月25日だ」と思い込みがちですが、これは西方教会(カトリック教会・プロテスタント教会)の宗教行事であって、ギリシャ正教会(ロシア正教会など)では、「1月7日」に行われる行事です。
これは、紀元前45年に有名なカイサル(シーザー)が決めた「ユリウス暦」に従うギリシャ正教会と、「閏年の設定」を修正するために、1582年にグレゴリウス13世が「グレゴリオ暦」を設定したことに従ったローマカトリック教会などの食い違いから起こったものです。西方教会がクリスマスを12月25日にしたのです。
最近になって「ウクライナ正教会」は、ロシア正教会と決別するために「グレゴリオ暦」に変更することを決定しました。だからウクライナ正教会のクリスマスは「12月25日」です。しかし、諸事情で1月7日の地域もあるようです。
いまごろ、ベツレヘムはどうなっているのだろうか?
いま、ハマスとイスラエルの戦闘が毎日報道されていますが、イエス・キリストが誕生したベツレヘムはどうなっているでしょうか。
私は、ベツレヘムに行ったことがあります。ここには、イエスが誕生したという「馬小屋」の土地にキリスト教会があります。
教会の前に広場があって、観光客や信者が集まってイベントなどが行われます。
クリスマスはキリスト教徒にとって重要な行事です。が、この地域はイスラム教徒の人々が住む地域なのです。複雑です。キリスト教徒はイブ(前夜祭)を中心に、教会の前の広場で音楽会を開いたり、祈りの集会を実施したりします。
新約聖書には、ローマ皇帝(アウグスト)の命令で人口調査が実施されることになり、この地にイエスの父ヨセフと母マリアが滞在していたのだと記されています。このことは「ルカによる福音書」に沿うものが多いですが、同じ聖書でも「マタイによる福音書」にもあります。記された誕生秘話は多少異なります。
異教徒間では、「クリスマス休戦」は期待できない
いまの戦闘は「ユダヤ教徒」と「イスラム教徒」の間ですから、クリスマス休戦は期待できないですね。ユダヤ教徒にとってイエスは「キリスト(救い主)」ではないし、イスラム教徒にとっては「予言者の一人」に過ぎないのですからね。
私が旅行中に体験したことは「宗教によって安息日」が異なることでした。
「イスラム教」の「安息日」は金曜日です。「ジュムア」とよばれ、ムスリムたちは仕事・学業を休み、共同体のモスクで集団で祈ります。
「ユダヤ教」の安息日は土曜日です。「シャバット」とよばれ、安息日ですから祈りの日です。だから、バスもタクシーも動きません。例えば、ユダヤ教の原理主義者は、働くことや日常生活を最小にして「祈りを中心」に生活するので、一度に歩く「歩数」も制限しているというコミュニティがあるそうです。
こんなことには無頓着で旅行していたので、日曜日に出発する飛行機を予約してしまい「飛行場に行く足の確保」でジタバタしました。私が知っている「キリスト教」では日曜日が休息日ですから、イスラム教もユダヤ教も似たようなものだと思い込んでいたのです。「タクシーが動かない」ということで焦ったのです。旅行には、地域や宗教に対する理解が必要だと痛感した想い出です。
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