空の無限に 風吹きぬけて 鯉のぼり
はじめに
紀伊国屋書店社長だった田辺茂一さんが『名を売る人間が仕事を伸ばす』という書籍で紹介している「三上秀吉さんの句」です。
簡単な句ですが、素直で広いです。ひねくれや狭さがないので大好きです。
私は、五月の空に風を受けて、堂々と泳ぐ鯉のぼりが大好きです。
人生を「かくありたし」と願って生きてきました。
最近になって、願っても「なかなかうまくいかないのが人生だ」ということがわかってきました。しかし、下を向くことは避けた方がいいと思っています。
「何が 口の中に飛び込んでくるか わからない」からです。
だから、若い人には「やりたいこと」を、精いっぱいやれと助言しています。誰が何といおうとも、「やりたいこと」は全部やればいいのです。
自分の手で、自身を小さくする必要はありません。「風吹きぬけて」なのです。
「ひな祭り」から「端午の節句」へ
誰の人生にも「節」があります。私にも、いま新しい節が来ています。
その時期を、むかしから「節句」といいました。
人間の成長を「節」と捉え、それを契機として成長していくことです。
これを形にしたのが「通過儀礼」です。この節をいかに捉えるかによって、人生が変わってきます。身近なところでは「卒業式」「入学式」です。
私は、いくつもの「式」を経験して来ましたが、私にとって「この旅はまだ終わっていない」と捉えています。まさに「前向き」です。
「やりたいこと」「やるべきこと」があるのですから、終わらないのです。
田舎の「ひな祭り」は四月です。私が住んでいる街には「ひな街道」と名付けた商店街があって、店頭にひな人形を並べられています。むかし、繁栄した宿場街ですから、見事な人形が並んでいます。
五月は「端午の節句」です。私が散歩する蓮華寺公園の池の空に、毎年沢山の鯉が泳ぎます。
節句とは「節目となる日」のことです
節句は奈良時代の頃に、中国から伝えられた「陰陽五行説」が出発点だと言われます。年中行事の節目として扱われてきたのです。「節」は、季節や特定の時期に行われる行事や儀式を指し、「句」は文章の単位を指していて、両方は一見関係がないように見えますが、共通点は「区切ること」「節目」です。
江戸時代になって幕府が「公式の祝日」を制定したことから「五節句」が決められたのです。その中に「上巳(じょうし)の節句」があり、川に人形を流すことで厄を祓うのです。ひな人形が三月三日に飾られる原点です。五月五日は「端午の節句」で、菖蒲などを軒に差し、男子の穢れを祓い、成長を願う行事です。
「奇数」が重なった日が節句となります
一・三・五・七・九という奇数は縁起がいいと言われます。偶数よりもバランスがとれていると考えられるからです。これは古代中国から入り、日本でも尊重されましたから、奇数が重なった日を「幸運」な日として祝う風習が生まれたのです。これが節句です。一月一日は年の初めで特別な日ですから、一月七日は「人日」の節句で<七草粥>を食べますね。三月三日は「上巳」・五月五日は「端午」・七月七日は「七夕」・九月九日は「重陽」の節句になります。
私たちは「陰」と「陽」に分けて考えることが多い
普段、私たちは「あの人は明るい」「あの人は暗い」というような表現をすることが多いですね。「柔らかい」「硬い」とか、「善」「悪」とか、「冷たい」「温かい」とか、対極にあるものを指していますが、これらは「陰陽思想」によるものです。つまり「陰」と「陽」の二つの相互作用によって宇宙や自然界の現象を説明しようという考え方です。
対立するが、依存しあう二つの力・原理です。「天」(あめ)と「地」(つち)という場合、宇宙や自然の上位と下位を表していますが、天・地の間にある人間・物事を中間の位置に考えていますね。「動」と「静」・・・動き(うごき)は活動や変化を、静(しず)は静寂や安定を示していることになります。
これらは、バランスを取りながら存在していますね。「生」と「死」は対立するだけでなく、生命の循環という観点で繋がっていますね。死とは、新たな生への過渡期です。卒業式と入学式のつながりを想えば理解しやすいですね。
もともと地上に道はない
「もともと地上には道がない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」
これは、魯迅の『故郷』の最後の文章です。魯迅の「未来に対する願い」が込められています。混迷する祖国。中国への「願い・期待」の文章は、現代の世界・日本の世相に通じるものがあります。
新しい世界で、新しい可能性を求めて、「道ができるまで頑張れ」という願い・祈りです。舞台は「紹興」です。紹興酒という銘酒の産地です。
むかし、私は紹興に行ったことがあります。観光化される前の「汚い旧い街」です。魯迅の作品にでてくる「居酒屋」で飲んでいる人の周りには、食い散らかした「ひまわりの種」が地面いっぱいに散乱する風景でした。
「寧波」は、古くから日本からの<遣唐使や留学生>が中国大陸に上陸する港でした。ほとんどの日本との交流は寧波が窓口でした。
寧波から三時間ほど、汽車に揺られて見る田園風景は、古く汚い列車であることを忘れさせるほど、広く大らかでした。いまは違うようですね(笑)
私は魯迅の孫の周令飛さんと親しくなったことがあります。まだ若かった彼は中国人民政府から派遣されてテレビ局に研修に来ていたのです。それから、「いろいろなドラマ」がありました。
あれから何年が経過したでしょうか?
空の無限に 風吹きぬけて 鯉のぼり
若いみなさんの人生は多様です。前のめりに生きていれば、多様な変化についていくことができます。人生を楽しむことさえできます。そして「空の無限に 風吹きぬけて 鯉のぼり」です。
「次代を担う君」へ伝えたいことは、たくさんあります。まだまだ「私がやるべきこと」「やり残していること」が沢山あるという認識です。
実際に、私の前に「凛として生きる先輩たちの姿」があります。また、自宅の居間に、知人の書家に書いてもらった「額」が飾ってあります。私は、立ち止まってはいられないのです。
どんな方向を選んだとしても、私たちは「歩みを止めないこと」が道を創造すると信じています。そして、今日も歩いています。確実に・・・
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