イタリア・ルネサンスと「生命力」の回復~イタリアの都市の魅力~
はじめに
コロナウイルスの騒動がおさまり、入試・受験が終わったら、君にイタリア旅行を勧めたい。
残念ながら、「いま」はダメだけど・・・
輝く太陽、明るい人々の顔、古代遺跡、美しい風景、そして蒼い海・・・
そこで、少しくたびれた「生命力」の再生を図るとしよう・・・
イタリアで、君の明るいキャラクターとエネルギーを「蘇生」させよう。
ゲーテが、疲れ果てて、イタリアを旅行し「復活」・「再生」したようにね。
君の「生命力のルネサンス」です。
「ヴェネツィア」は、美しい風景と伝統を誇る街です。ゴンドラに乗ってね。
「フィレンツェ」はルネッサンスの基点となった。美術館のような街です。
「ローマ」は、豪華な街。豊富な遺跡は、知識があるほど楽しいでしょう。
「ミラノ」は、ドゥオーモ(大聖堂)と「最後の晩餐」は必見です。
「ナポリ」は、雑然とした街中がいいですね。真っ蒼な海が魅力です。
「ポンペイの遺跡」は、ナポリの遠景が見えるヴェスヴィオス火山の麓です。
ヴェネツィア共和国の10人委員会
ヴェネツィアは「アドリア界の女王」とよばれるほど美しい街ですが、7世紀末から1789年まで1000年以上続いた「共和国」だったのです。
この国では「信教の自由」・「法の支配」が実現され、国王ではなく「10人委員会」という中枢機関が機能する海洋国家だったのです。
第22回に書きましたが、共和国は「ペスト対策」で、1377年に「海上検疫」の法律をつくり感染者を隔離しました。
先進的で、強力な国家だったのです。
受験アドバイス
シェークスピアの『ベニスの商人』は、地中海貿易で活躍する商人たちを描いた戯曲です。ヤマ場は、ユダヤ人金融業者シャーロックを「法で裁く」場面ですが、これは1594~97年ごろの作品です。ヴェネツィア共和国は「法による支配」をイギリスの「権利の請願」(1628)より、はるか以前に実現していたのです。シェークスピアはイギリス人ですが、ヴェネツィアの国家組織に精通して戯曲を書いているのです。
将来、国際弁護士になろうとしている人は、こうした歴史的経過・知識が必要です。
メジチ家とフィレンツェの魅力
古都フィレンツェの市名の由来は、ローマ時代につけられた「フロンティア(花の化身)」にあるといわれます。
イタリア・ルネッサンス(再生・復活)は、この都市から始まり、経済・文化・芸術活動に大きな影響を与えました。
ここでパトロンとして大きな実力を発揮したのが「メジチ家」でした。
コジモ・ピエロ・ロレンツオというメジチ家の指導者なくして、ルネサンスの華やかな文化は展開しなかったでしょう。
メジチ家は、金融業でしたから、豊富な資金力を背景にしてフィレンツェの政治・経済・文化に影響をしたばかりでなく、教皇レオ10世を輩出しました。
特に芸術活動の支援に熱心で、画家のボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらを擁護しました。ウフィツイ美術館やヴァザーリの回廊を歩くと、どんなに「大きな力」を及ぼしたかを実感します。
受験アドバイス
マキャヴェッリの『君主論』は、1532年に刊行されたものですが、今日にも通じる「リーダーが学び、行動に生かすべきこと」を論じています。「目的のためには手段を択ばない」(権謀術数)という言葉などで有名ですが、これはイタリア諸都市の争い・混乱を前にして、メジチ家が強いリーダーシップをとることを期待して献上されたものです。過激な、強権による統治を論じた部分だけを切り取って解釈するのは危険です。歴史的背景を理解して理解することが大切です。
古代ローマの遺跡からイメージするもの
古代遺跡のフォロ・ロマーノを歩いて「ここで、帝政を目指していたカイサルが、共和派のブルータスらに暗殺された・・・」とか。
「元老院とは、こんなところだったのか・・・」などと、歴史の追体験をしてみましょう。
いろいろなイメージを広げることが楽しいです。
ローマ市には、たくさんの遺跡があります。
有名な「コロッセウム」は、残酷な円形闘技場でした。
古代ローマの市民が、剣闘士と野獣、剣闘士と剣闘士の殺し合いなどの「見世物」に歓声をあげていた場所です。
いまは音楽会などの平和なイベントが開催されますが、歴史はきれいな面ばかりではありません。
ある時、私はのんびりと「コンスタンティヌスの凱旋門」の前を歩いていたらジプシー(ロマ人)の母・子に襲われました。怖かったです。こうした体験も旅の貴重な一面です。
世界旅行を推奨していますが、世界中の都市・観光地が、「安全ではないこと」も覚えておいてください。経験が君を強くします。
受験アドバイス
紀元313年。これまで迫害して来たキリスト教を、コンスタンティヌス帝は「公認」しました。325年。ニケーアで初めて「公会議」が開かれました。
392年。ローマ帝国の「国教」とされました。「政治と宗教」が一体になったのです。この過程でアタナシウス派の「三位一体説」が正統派とされ、父と子のイエスは別だというアリウス派は異端とされ追放されました。
最近話題になった『ダ・ヴェンチ・コード』という小説(ダン・ブラウン著)は、ゲルマン社会に追放されたアリウス派の「人間イエスキリストの子孫がいる」ということを仮定にして展開する物語です。映画も小説もフィクションですが面白いです。
ナポリを見て死ね
ナポリの街は、整備された美しい市街地と、ゴタゴタした庶民が住む地域に分かれます。
私は、人間臭く、「人なつこい下町」が好きです。
洗濯ものが、乱雑に干してあります。
魚市場は元気な声が飛び交い、人々の笑顔が素敵です。
美しいナポリを知らずして旅を語るなと言われますが、風景も笑顔もひっくるめて、「ナポリを見て死ね」なのです。
イタリア人は「愛すること・唄うこと・食べること」を大切にしています。
ナポリの人は、その典型ですね。
君は「ナポリ民謡」が好きですか?
現地の人が唄う“サンタルチア”・“帰れ!ソレントへ”・“フニクリフニクラ”・“オーソレミオ”など・・・素敵です。
海岸に出ると真っ蒼な海です。遠景にヴェスヴィオ火山が見えます。
その近くに「ポンペイの遺跡」があります。是非、君に歩いて欲しいです。
やっぱり、ミラノは「ドゥオーモ」から
ミラノと言えば、ドゥオーモ(大聖堂)ですね。
このゴシック建築に礎石を置かれてから500年後の1813年に、征服者ナポレオン・ボナパルトにより完成しました。
また、1943年の第2次世界大戦の「ミラノの爆撃」では、連合国側の判断で破壊を逃れることができました。
ゴシック建築は、天上の神様に近づく願いを「尖塔」で表現しているといわれます。
この大聖堂には135の尖塔があり、それぞれに聖者が置かれています。
ミラノの大聖堂は華麗な見事な建築物です。
ミラノのあるロンバルディア州は、スイスとの国境に位置しますから、昔から、オーストリアやフランスとの戦争が絶えませんでした。
この厳しさの中で経済の発展がありました。
北イタリアの人は「良く働く」けれど、南イタリアの人は「人生を楽しんでいる」と言われます。
北の地域は繊維産業・化学工業などが盛んで、豊かです。
しかし最近は、「中国からの移民」が激増し、新型コロナウイルスでも注目されましたね。
ミラノの郊外にあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれたのがダ・ビンチの『最後の晩餐』です。
世界大戦で爆撃を受けたので建物が崩壊し、この名画の損傷がひどい時期がありました。
私は「劣化が激しい頃」と「修復された後」の2回鑑賞しましたが、強烈に印象に残っているのは、かろうじて「薄く残った名画の悲惨な姿」です。
受験アドバイス
君は、オシャレが大好きだから「ミラノ・ファッション」に興味があるでしょうね。
この地域は繊維工業で栄えたので、デザイン・アクセサリー・服飾などファッションに対する関心が高いですね。
しかし、この街のファッションは、1970年代に「ミラノ・コレクション」が開催されるようになってから、特に盛んになったのです。
世界的な「ファッションの発信地」として、有名ブランドのプラダ・アルマーニ・ヴェルサーチなどの本店があります。
いつも「カッコよく」生きることを心掛けたいですね。
入試対策では、デザイン・ファッション面からの切り口も大切にしましょう。
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