ガザの「武力衝突」回避~イスラエルとパレスチナ問題を考える~
はじめに
イスラエルとパレスチナの「衝突」は、エジプトの仲介で「当面の間」回避されたようですね。
まだ、何が起きるか不明ですが、まずは「よかったです!」
パレスチナ問題は、入試でも避けて通ることができない「重いテーマ」です。
「現状」と「歴史的経過」を、入試レベルで確認してみましょう。
パレスチナで、イスラエル人とユダヤ人が「共生」するには、強い意志と、粘り強い努力、各国の理解・協力が要求されています。
いわゆる「知識」と「現実」の融合課題ですから、共通テスト、大学別個別試験・総合問題、難関私立大・小論文・面接のテーマです。
ガザ地区はエジプトに近いです。ここは、1967年までエジプトが統治し、79年には、イスラエルと平和条約を結んでいましたが、2014年にも戦闘が起きるなど「火薬庫」なのです。2007年に、ハマスが武力制圧しています。
私のイスラエルの「冒険の旅」のことは「第4回」と「第10回」に詳しく書きましたから、再読して下さい。
受験アドバイス
「ガザ事件」に関して言えば、『旧約聖書』の中のエピソードが興味深いです。
イスラエルの祖である「アブラハム」は、高齢の妻サラとの間に嫡子「イサク」をもうけます。彼が「ユダヤ人の祖」になります。
彼の妾ハガル(エジプト人)の子が「イシュマエル」です。やがて、部族内でトラブルがあって、妾の母子が追放されます。そして、イシュマエルが「アラブの祖」になったとされています。このふたつの先祖の「対立」が根っこにあるという説も知っていると理解しやすいですね。
武力衝突を回避しなくては!!
武力衝突は「歴史的経過」を背景にしていますから、「コロナ戦争」のほかに、もうひとつの「世界大戦の危機」が迫っているのです。
実際に、ガザ自治区には、パレスチナの武力組織の「ハマス」に所属する戦闘員が居住し、実効支配しているのです。「イスラエル軍」との闘争は、今後も継続しますね。いつ戦闘が再開されるか「怖い」です。
ガザ自治区の「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」は、1948年のイスラエル建国後の、第1次中東戦争後に生まれた「パレスチナ難民とその子孫」を支援する国連機関です。ヨルダン・シリア・レバノン・ヨルダン川西岸・ガザ地区の難民キャンプで暮らす570万人の医療・食糧などを支援し、小・中学校を運営しています。
平和は、文字ではない「現実」的な行動です。日本人も働いています。
受験アドバイス
ユダヤ人は、ヘブライ人に対する民族呼称ですが、自分たちは「イスラエル」といっています。古いイスラエルの一部族の名前です。
ユダヤ教徒として宗教的な結束を持っていますが、世界各地に住み、「シナゴーグ」を中心に、独自の生活自治組織をつくっています。
古代イスラエル人の敵であったペリシテ人がなまって「パレスチナ人」になったという説があります。この地域では、いろいろな部族がアラブ人などと混血して、現在のパレスチナ人になったと考えていいでしょうね。確実なことはわかりません。
なぜこんなことになったの?
地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯を、紀元前4~5世紀頃は「カナン」とよんでいました。旧約聖書に「乳と蜜の流れる土地」と描写されていますから、豊かな土地で、いろいろな民族・種族がのんびり暮らしていたのでしょう。この地域のことは旧約聖書以外に、少しだけ考古学的な発掘がありますが、文献でも実証できないです。
旧約とは、「神との旧い約束」という意味ですが、これによれば、いまから4,000年前くらいに、メソポタミアのウルに生まれた「族長;アブラハム」が、神の声に導かれてこの地に「移住」してきたと記されています。
神は,ここをイスラエルの「約束の地」だといったのだそうです。
多分に「神話的な要素」が強いですが、武力衝突の重要なポイントです。
「聖書の知識」は、西欧人にとって常識です。「旧約」「新約=新しい神」との約束の知識を知っていて当然で会話します。しっかり習得しましょう。
受験アドバイス
旧約聖書には「神が人間の形をもって現れる」(イザヤ書Ⅱ)という預言があります。ユダヤ教では「いまだ神は現れていない」と考えていますが、新約聖書は、イエスこそ「キリスト・メシア・救い主」であると記載されています。キリスト教です。
宗教的な考え方対立は妥協なしです。中世以降のヨーロッパ=キリスト教世界では「ユダヤ教への差別」が続き、20世紀ナチス=ドイツによる大迫害がありましたね。
なぜ、イスラエルとパレスチナの仲が悪いの?
単純に言えば、「イスラエルの建国」(1948)に無理があったのです。
強引に力づくで「ここは、私たちの土地だったのだ!」といって、第2次世界大戦が終わったところで、この土地に割り込んできて「建国」したからです。
ホロコーストで難をのがれた人々を描く『栄光への脱出』という映画がありましたが、『シンドラーのリスト』等、ディアスポラ(民族離散)で苦しんだあげく、民族国家の建国を渇望する人がいたのです。
しかし、2000年の長きにわたり居住していたアラブ人たちを追い出したので、「難民」が生まれたのです。反発・恨み・憎しみ・嫌悪が重なって、不幸な争いになったのです。
国連が仲裁し、和平の話し合いが持たれましたが、解決に至っていません。
君の意見を800~1,200字で論述してください。
受験アドバイス
この地域は、古代ローマ帝国の支配に、ユダヤ人が猛烈に反発し、ついに「第1次ユダヤ戦争」(66~73)・「第2次ユダヤ戦争」(132~135)が起こります。
有名な『ベン・ハー』という映画は架空物語ですがこの対立を描いています。
このふたつの反乱で、ローマ帝国に壊滅的に敗北したユダヤ人は、この土地から追い出され、世界中に「ディアスポラ(民族離散)」を強いられます。
離散の過程で、「もう一度、自分の国をつくろう」「シオンの丘に帰ろう!」というシオニズム運動が起こり、1948年にイスラエルを建国したのです。
エルサレムの旧市街を歩く
エルサレムは「とても不思議な街」です。というのは、ユダヤ教の聖地(神殿の丘・嘆きの壁)であり、イスラーム教の聖地(岩のドーム・アル=アクサ―モスク)であり、キリスト教の聖地(聖墳墓教会)でもあるからです。
これに加えてキリスト教の一派の独特のアルメニア教会が、一堂に集まった「聖墳墓教会」は、イエスの墓に当たるというのです。とても「微妙な空間」で、「十字軍の最終目的地」になったところです。
私は、旧市街の東側にある「ライオン門」から、この教会までを歩いてみました。イエスが十字架を背負って歩き、死刑が行われた「ゴルゴダの丘」のルートだと伝わっているからです。しかし、路地の両サイドにはイスラーム教徒の店舗ばかりです。居住地なのです。
この東エルサレムのイスラーム地区をトランプ政権が奪おうとしましたね。
受験アドバイス
ムハンマドが、神の啓示(610年)を受けてメッカ郊外で開いた宗教が、イスラーム教です。619年にメジナからメッカにヒジュラ(聖遷)を行い、宗教活動が本格化しました。イスラーム教は「クルアーン」(コーラン)で、ユダヤ教やキリスト教を「啓典の民」として崇めています。
また、聖書にあるアダム・アブラハム・モーセ・イエスも「預言者」として認めていますから、本来、対立するのが可笑しいと思いますが、ここが「一神教」なのです。
自分が信じるものが正しいので、他は排斥・否定するのです。
それでも、いろいろな時代のイスラーム王朝は、「ジズヤ」(人頭税)を納めれば、「信教の自由」は保障していたのです。
イスラーム教については、第10回のコラムに書きました。是非、再読してください。
これまでの中東戦争・・・
中東戦争について、これまでの「流れ」をまとめておきましょう。
多くの「共通テスト」レベルでは、複雑な理解はいりません。東大「世界史」第1問の論述問題とか、早稲田大「政治経済」の総合問題などの、知識と統合を必要とする学部は例外です。詳しく理解したい人は「探究」してください。
1. 第一次中東戦争は、どんなきっかけで起きて、どのように展開しましたか?
1948年にイスラエルが独立宣言すると、パレスチナの内戦は、即座に国家間の戦争になりました。独立に反対する周辺アラブ諸国(エジプト・シリア・イラクなど6か国)は、パレスチナに進軍し戦闘を開始しました。
2. 第二次中東戦争は、なぜ始まり、どのような結果になりましたか?
1956年にエジプト大統領ナセルは、スエズ運河の国有化を宣言しました。イギリス・フランスは、石油を含む貿易ルートを確保するために、イスラエルを支持して、エジプトとの戦争を扇動して、自らは仲介の名目で介入しました。(第50回コラムで確認して下さい。)
3. 第三次中東戦争は、なぜ「六日戦争」とよばれるのですか?
1967年。ゴラン高原における「ユダヤ人入植地」の建設を巡って緊張が高まる中で、イスラエルはエジプト・シリアなどの空軍基地を先制攻撃しました。イスラエルは、ヨルダン川西岸地区・エジプトの「ガザ地区」・シナイ半島・ゴラン高原を占領し、わずか4日後停戦が成立。これが「六日戦争」です。
4. 第四次中東戦争は、どのように展開したのですか?
1973年。エジプト・シリアはイスラエルを先制攻撃しました。エジプト軍はガザ地域を確保しました。戦況を有利にするために、アラブ側はOAPEC(アラブ石油輸出機構)を使って、アメリカ・オランダへの禁輸を決定(石油戦略)。原油価格の急騰で世界中の経済が混乱しました。これが第1次オイルショックです。
受験アドバイス
第四次中東戦争以後、イスラエルとアラブ国家との本格的な武力衝突は起きていません。1978年の「キャンプ・デービット合意」ができたからです。その後、イスラエルへの敵対勢力は、パレスチナ解放機構(PLO)に移行し、後日、パレスチナ自治政府となりました。1982年の「レバノン侵攻」がありましたが、第一次「インティファーダ」(抵抗運動)を経て、1991年に「中東和平会議」が開かれました。
1994年リーダーのラビンとアラファトがともに「ノーベル平和賞」を受賞しました。
しかし、2017年、トランプ大統領になって、「アメリカの姿勢がイスラエル寄り」に方向転換してから、イスラーム教徒の反発が大きく、「ハマス」と「イスラエル軍」の衝突が発生しています。今回の「ガザの武力衝突」も、そのひとつです。
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